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47.岡山

農業の機械化を促進した干拓

 <1984年5月8日観測画像>

画像は岡山市を中心に県の南東部を撮し出している。画像の上半分の地域は吉備高原である。吉備高原は長年の侵食の結果,緩やかなうねりを呈する準平原状の地形が形成され,その後隆起したものである。高原は県内の主要河川である(画像の右より)吉井川,旭川,高梁川に代表されるような幅が狭く,深い谷や北東から南西へ平行に走るいく列もの構造線(リニアメント)で細かく区切られている。

高原の前面には岡山市や倉敷市がある岡山平野が東西にひろがっている。海岸線に目をうつすと,岡山市の南方や水島コンビナートのある高梁川河口付近の直線的な海岸線が特徴的である。これは児島をはじめとする大小の島々が浮かぶ浅海であったこの地域を16世紀後半から干拓した結果であり,児島も陸つづきとなって半島(児島半島)となった。

岡山市の南の児島湾では,干拓地の水利問題を解決するために湾を締め切って児島湖がつくられた。画像上では1,600メートルの締切堤防もはっきりと判読できる。現在は湖は淡水化し,農業用水などに利用されている。さらにこの湖の背後には藤田,灘崎,玉野地区の大きな区画をもつ圃場が撮し出されている。この大きな区画配置が農業の機械化の先鞭をつけ,農業先進県として知られるきっかけとなった。

明治末期に干拓が始められた藤田地区では,いち早くアメリカからトラクターが導入されたが,畑地用の大型トラクターは水田には必ずしもうまく適合できなかった。そこで,地元の農民と鍛冶屋が知恵を出し合い,改良・開発をおこなった結果,第二次大戦前には手押し型トラクターを導入することができた。大戦後は施肥,播種のための小型農具の開発に力がそそがれ,1950年には最後まで牛にたよっていた代かきまで機械を普及させた。

このように,岡山の農機具メーカーは全国規模の農機具メーカーが進出するまで,日本の農業の機械化を推進していったのである。しかし,米麦作を基本としたここの「機械化農村」でも都市化による兼業化が進み,現在では労働集約的園芸農業地域に変わっていることは皮肉なことである。

岡山平野での農業は現在では米の生産に力が入れられており,「朝日」「アケボノ」などの地元米の生産にとりくみ,“おにぎり茶屋”などを通しての消費拡大に努めている。全国一の生産をほこる「ブドウの女王」マスカットは,岡山市の北部で栽培が始められ,現在では県の南部にひろがっている。しかし,かつては全国の生産量の半分を生産した“イグサ”は工業化・都市化の進行で激減し,1989年の栽培面積は最盛期の40分の1(126ヘクタール)になった。倉敷市の西の船穂町では花き生産振興計画「岡山花物語」により,キク,スイートピー,バラなどの産地づくりが進められている。

吉備高原では,高原の畑地でブドウ,モモ,温室メロン等の果樹栽培に加えて,北部では良質の葉タバコや茶などの工芸作物,マツタケの栽培も行なわれている。

今川俊明(農業環境技術研究所)

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