前の記事 目次 研究所 次の記事 (since 2000.05.01)
情報:農業と環境 No.71 (2006.3)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 195: ORI 研究倫理入門 責任ある研究者になるために、 Nicholas H. Steneck 著、山崎 茂明 訳、 丸善 (2005) ISBN4-621-07524-1

国内外で科学論文の捏(ねつ)造や捏造疑惑が問題となっている。また、科学研究費等の不正使用が報道されることも少なくない(参考1、2)。大半の研究者は、自分は報道されているような不正をすることはないと思っているに違いないし、していないであろう。しかしながら、そうした不正が継続して起こっているのは事実であり、それに対して研究者や研究機関はどのような対応をとるべきなのだろうか。ここで紹介する「ORI研究倫理入門 責任ある研究者になるために」は、米国公衆衛生庁の研究公正局(Office of Research Integrity)が公衆衛生庁によって助成された研究に参加した研究者やスタッフのために発行したものの翻訳であるが、一般的な学術研究に携わる者の行動規範を考える上で重要な点が多数解説されている(参考3)。

本書では、データ捏造のみならず、研究室の運営、若手研究者の育成、論文を執筆した場合のオーサーシップ(執筆者の順序)等々の研究者として守るべき倫理基準が示されている。ただ、実際場面を想定すると、どこまでが許されるのか、どこからが不正なのか判断の難しいケースも多々あり、本書では具体的事例について個別に可否を述べていない例も多い。その場合には、問題点を提起し、読者あるいは当該の研究機関単位で論議することを求めている。評者自身考えこんでしまう問題提起も少なくなかった。

いくつか紹介してみよう。第1部「共有する価値観」では、研究者人生における決まりごと(第1章)と研究者の不正行為(2章)について論じられる。ここでの事例は、昇格審査を前にした新進研究員が、昇格審査会の委員でもある上級研究員の論文に、同じデータを異なる2つの論文に発表しているという不正を見いだしたというものである。つまり、自分の昇格を左右する上司が不正にかかわったかも知れないというケースである。この事例での設問は、(1)このデータについて直接上級研究員に問い合わせる、(2)上級研究員の管理者である部門長に知らせる、(3)部門長に匿名で知らせる、(4)少なくとも昇格審査が終わるまで何もしない、等である。皆さんはどう回答するだろうか。

第2部「研究計画」、第3部「研究を実行する」では、研究を計画・実施している段階のさまざまな問題が論じられる。メンター(mentor)とトレイニー(trainee)の関係(7章)、すなわち、研究の指導的ポジションにある者(たとえば、ポスドクを雇用している常勤の研究者や大学院生を指導する教官)とその指導を受けつつ、ある程度自立的に研究を進める者(ポスドクや院生)の関係が解説される。ここでエモリー大学医学部のポスドク研究員規律のメンターの義務が紹介されている。すなわち、「メンターは、ポスドク研究員が参画プロジェクトでの目標を達成するために、十分な施設と資金、適切なガイダンスを提供する。加えて、メンターは、研究情報の批判的吟味、助成申請書の書き方、論文原稿の準備と書き方等のガイダンスを与えるべきである」。当然のことであるが、評者は、それを機関の規律として定めているところに感心した。しかし裏を勘ぐると、こうした規律を作っていることは、ポスドク・院生は単なる労働力とみているメンターが少なくないことを示唆しているのかも知れない。

第4部「研究成果の発表と審査」では、発表段階の生々しい問題について論じられている。たとえば、オーサーシップ(9章)である。科学論文のオーサーシップでは、論文の執筆者の順位や執筆者として加えるべきか否かということが問題になる。一般に、科学論文では筆頭著者から研究成果への貢献度の順にリストされ、発表論文に関わる研究プロジェクト等に責任のある者が末尾になることが多い。しかし、このことに明確な規則がある訳ではなく、研究分野によっても異なる。ただ、研究職ポストの選考採用審査や昇任審査において、筆頭著者である論文が何編あるかは重要な審査ポイントであり、オーサーシップをめぐる問題を看過できない。また、名誉のオーサーシップ、つまり、当該の研究論文に寄与していないが、研究資金を提供したり、研究プログラムの長である等の理由で著者に加えることは、批判されるべきであり、広い意味で不正行為の一つと見なされると、述べられている。

さらに、ピアレビュー(10章)についても論じられている。ピアレビューは、同じ専門知識と経験をもった専門家による評価であり、研究に必須の構成要素である。学会誌等の学術誌へ投稿された論文の審査はもとより、研究助成金の審査や選考採用における業績審査もピアレビューである。わが国でもその重要性はますます高まっている。事例報告では、ある大学教官が、研究テーマが類似するほかの研究室の大学院生の投稿論文の審査を引き受けるべきかどうか提示されている。当該教官は、研究テーマについては熟知している専門家ではあるが、この教官の院生にとっては明らかに競争相手であり、利害衝突の可能性が高い。(1)この教官は審査を引き受けるべきであろうか、あるいは、(2)この教官が引き受けるかどうか自ら判断できない場合、だれにアドバイスを求めるべきだろうか等々。

平成18年度から開始される第3期科学技術基本計画においては「競争的研究環境の醸成」が強調されることとなり、研究資金の中に占める競争的資金の割合がさらに増加する傾向にある。新たな研究助成金を獲得するためには、業績(論文・特許等)をあげなければならない。このことは、同時に、投稿された論文の審査、研究プロジェクト助成金応募書類の審査・評価というピアレビューの機会も増える。そして、こうしたプロセスに関与する科学者・研究者はプロフェッショナルとしての倫理を求められることになる。研究者・技術者の倫理については、本の紹介 155:「誇り高い技術者になろう」 も参照してほしい。

次期科学技術基本計画では「人材育成」も謳(うた)われることになる。研究者のライフサイクルを考えると、トレイニーの立場から、自立した一人前の研究者へ、そしてメンターの立場、そのそれぞれのステップで、本書で示された研究倫理について考え直すことが必要であろう。しかしながら、わが国の農学系大学院教育あるいは研究機関における教育・研修プログラムの中に、こうした研究者倫理に関する問題がどの程度組み込まれているだろうか。

参考:

1) 日本学術会議会長コメント(平成17年8月31日)

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/comment/050831.html (ページのURLが変更されています。2015年1月)

第18期学術と社会常置委員会報告「科学における不正行為とその防止について」

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-18-t995-1.pdf

第19期学術と社会常置委員会報告「科学におけるミスコンダクトの現状と対策−科学者コミュニティの自律に向けて−」

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-19-t1031-8.pdf

2) M. Wadman, One in three scientists confesses to having sinned. Nature 435: 718-719 (2005)

米国の3000人以上の科学者へのアンケートによると、3分の1以上の科学者が何らかの不正にタッチしているという。

http://www.nature.com/nature/journal/v435/n7043/full/435718b.html (英語)

3) 原文(ORI Introduction to the Responsible Conduct of Research)は、ORIのWebサイトからダウンロードできる。このサイトではORIの各種のガイドラインも閲覧できる。

http://ori.hhs.gov/ori-introduction-responsible-conduct-research (ページのURLが変更されています。2015年1月) (英語)

目次

第1部 共有する価値観

1章 研究者人生における決まりごと

2章 研究の不正行為

第2部 研究計画

3章 被験者保護

4章 実験動物の福祉

5章 利害衝突

第3部 研究を実行する

6章 データ管理の実際

7章 メンターとトレイニーの責任

8章 共同研究

第4部 研究成果の発表と審査

9章 オーサーシップと出版

10章 ピアレビュー

第5部 安全運転と責任ある研究

前の記事 ページの先頭へ 次の記事