気候変動に関する政府間パネル (IPCC) は、各国が人為的起源による温室効果ガスの排出量を算定するためのガイドラインとして、国別温室効果ガスインベントリガイドライン (IPCCガイドライン) を作成しています。最初のIPCCガイドラインが発行された1996年から10年目となる2006年に大幅な改訂がなされました。農業・森林を含む土地利用分野 (AFOLU: Agriculture, Forestry and Other Land Use; 農業、林業および他の土地利用)でも、農業環境技術研究所の研究成果 (研究成果情報 第22集p38-39、 第23集p6-7、 第23集p8-9 ) を含む最新の研究成果を取り入れた大きな改訂がなされました。この改訂は、各国における正確な排出量の算定につながるものと期待されていますが、一方で各国の担当者が実際にIPCCガイドラインを用いてインベントリ集計作業を行う上でのいくつかの技術的な問題点も指摘されています。
このような背景のもと、これらの問題点を明らかにし今後の方向についての検討を行うための会合が、フィンランドの首都ヘルシンキにおいて5月13日から15日までの3日間にわたって開催されました。参加者は先進国と途上国を含む世界31か国の温室効果ガスインベントリ作成担当者や研究者のほか、国連食糧農業機関(FAO)などの国際組織の統計専門家など約70人で、日本からは農業環境技術研究所1名、森林総合研究所2名、三菱UFJ総研2名の計5名が参加しました。
会議では、まず討論を行う上での共通理解を深めるためのイントロダクションと問題提起のため、 (1) 2006年のIPCCガイドラインの主要な改訂についての解説、 (2) 先進国および途上国におけるIPCCガイドラインの使用状況と最新のIPCCガイドラインを適用する上での問題点、 (3) FAOが提供する森林や農業の統計データの解説、 (4) リモートセンシングデータの利用法、 (5) データの不確実性、についての発表がありました。
次に、日本を含む10か国から、各国の温室効果ガスインベントリの概要およびインベントリ作成にあたっての問題点についての報告がありました。日本からは森林総合研究所温暖化対応推進室長の松本光朗氏が日本の森林分野の温室効果ガスインベントリについて報告しました。その後、提起された問題点についてテーマ別に検討するため、 (1) 必要なデータの増大への対処、 (2) インベントリの不確実性を減少させるための提言、 (3) 森林および土地利用分野におけるインベントリ手法の改良、 (4) 農業分野におけるインベントリ手法の改良 の、4つのグループに分かれて討論を行いました。
報告者が参加したグループ4では、2006年の改訂において水田からのメタンをはじめとして多くの基本の排出係数(デフォルト値)や算定方法が改善されたことにより、農業分野全体としては大きく改善されたとの見解で一致しましたが、一方で作物残さの投入や家畜排せつ物管理からの亜酸化窒素排出量の算定方法についてさらなる改善が必要といった意見がだされました。
グループ討論の後、各グループでの討論内容と提言について報告を行い、全体討論を行いました。Tier 1*で用いるデフォルト値について、より多くのカテゴリでデフォルト値を提供する必要性に加え、現行のデフォルト値についてもできるだけ最新の研究成果を取り入れるために頻繁に改訂する必要性が指摘されました。また、現在のガイドラインは Tier 1手法を中心に解説されているため、Tier 2*および Tier 3*を用いるためのガイドラインが十分ではないとの指摘もなされました。とくに Tier 3 手法を採用してモデルを用いて排出量を報告した場合には、現状の国別審査において透明性が確保されているとはいえないこと、などが討論されました。
最後に会合全体の討論の内容をふまえた 「まとめ」 として、2006年のIPCCガイドラインの改訂により全体としては大きな改善がなされたとの見解の一致を確認した上で、さらなる改善に向けた提言として、 (1) IPCCのウェブサイトにおいて公開されている温室効果ガスエミッションファクター(排出係数; たとえば、施肥窒素量に対する、発生する一酸化二窒素態の窒素の割合)のデータベースを充実させるための活動を行うこと、 (2) インベントリ作成担当者向けのウェブサイトにおいてインベントリ作成上の技術的な問題を解決するための情報提供 (FAQなど) を行うこと、 (3) 今回問題点としてあげられた事項に関するテーマ別会合を開催すること、が本会合での最終的な提言とされました。本会合による提言の内容をふまえて、IPCCタスクフォースビューロー (国別温室効果ガスインベントリに関する運営管理を行うIPCCの組織) により、今後の活動方針が決定されることになっています。
* IPCCガイドラインにおいては,国別の温室効果ガス排出量算定において各国のデータの準備状況に応じて3段階の方法が提案されています。Tier 1 ではIPCCガイドラインにより提供される基本の排出係数 (デフォルト値) や算定方法に従って温室効果ガス排出量の算定を行う方法で、各国独自の実測データが十分にない場合でも適用することができます。Tier 2 では各国における実測データに基づいた各国独自の排出係数を用いて排出量の算定を行う方法で、国により大きく異なる気象条件などを反映したより正確な算定を行うことができます。Tier 3 ではより複雑な方法 (地図情報システムやモデルなど) を用いて、より正確な排出量の算定を行うことができます。
(物質循環研究領域 秋山博子)