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情報:農業と環境 No.103 (2008年11月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

GMO情報: カルタヘナ議定書発効5周年 〜ルーツの1992年から振り返る〜

今年 (2008年)9月11日、生物多様性条約カルタヘナ議定書は発効 (成立) 5周年を迎え、国連事務総長から談話が発表された。5年間の成果を強調するとともに、「現在147か国とEU (欧州連合) が議定書を批准している。まだ批准していない国にも、早期の調印を促し、議定書の目的を完全に実現するための努力を続けねばならない」 と、名指しは避けたものの、議定書を批准していない米国、カナダ、アルゼンチンなど遺伝子組換え作物の主要栽培・輸出国への早期批准を呼びかけた。事務総長談話と共に、生物多様性条約事務局 (モントリオール) から5周年記念として、主要歴史年表がリリースされた。年表は1992年 (平成4年) 5月のナイロビ (ケニヤ) での国連環境計画会議までさかのぼる。「土壇場で採択できず、さらに継続審議」、「最終日も徹夜の交渉が続き、採択したのは翌朝4時35分だった」 など、時折、本音がかいま見える資料だ。当時の新聞記事と合わせて、1992年から2008年までを振り返る。

1992/5/22 ナイロビ (ケニヤ) 国連環境計画会議 生物多様性条約を採択

採択された生物多様性条約では、現代バイオテクノロジーによる遺伝子組換え生物について、人や環境への安全を配慮した移動、利用などを確保するため、輸出国は輸入国に対して 「事前に通告して承認を得る制度」 を設ける必要があるとした。しかし、すんなり決まったわけではない。環境省 「生物多様性条約の交渉における議論の概要(1992年5月)」 では以下のように記されている。

米国: バイオテクノロジー固有の危険性を示す科学的裏付けはなく、生物多様性条約で遺伝子組換え生物に関する規制的措置を導入するのは反対。

EC諸国: 米国案に反対。規制的措置の導入は必要。

途上国: 遺伝子組換え生物については、大きな危険性があり最大限の注意が必要。規制的措置がなければ、途上国が先進国の実験台となる可能性がある。

毎日新聞 (1992/5/20)は、「生物条約交渉難航、資金援助で南北対立」の見出しで、「自国の先端技術や生物関連産業への悪影響を懸念し、大幅な修正を求める米国の姿勢が途上国の反発を招き、交渉はしばしば暗礁に乗りあげ、19日(最終日)の決着は絶望的」と報じている。

1992/6/3-14 リオデジャネイロ (ブラジル) 国連環境開発会議 (地球環境サミット)

アジェンダ21 (持続的発展のための地球行動計画) を採択し、第16章で、バイオテクノロジーの利用による安全確保のための国際的取り決め制度を設けることを決める。

1993/12 生物多様性条約成立

1995/11/6-11 ジャカルタ (インドネシア) 第2回条約締約国会議 (COP-2)

バイオテクノロジーにより改変された生物 (遺伝子組換え生物) に関して、生物多様性や持続可能な利用に悪影響を及ぼす可能性のあるものについて、「国境を越えた移動」 と 「事前の情報提供に基づく合意のための適切な手続き」 に焦点を置いたバイオセーフティ議定書を制定することを決定。これが後の「カルタヘナ議定書」である。

1996/7〜1999/2 バイオセーフティ特別作業部会

条約締約国会議 (COP) のもと、議定書作成のための特別作業部会が設置され、オープス (デンマーク) (1996/7)、モントリオール (1997/5、1997/10、1998/2、1998/8) で計5回の会合を経て、1999年2月、カルタヘナ (コロンビア) での第6回 (最終回) 作業部会を迎える。

1999/2/22-23 カルタヘナ 特別条約締約国会議 (ExCOP) まとまらず継続審議に

作業部会は土壇場で最終調整案がまとまらず、締約国会議でも議定書採択に至らなかった。しかし、議定書の名称を 「カルタヘナ」 とすることは承認され、継続審議となった。とくに協議が難航したのは、(1) 栽培を目的とせず、食品用・飼料用・加工用としてのみ輸入する組換え作物の取り扱いと、(2) WTO (世界貿易機関) 協定との整合性であった。問題となる WTO 協定とは、「衛生植物検疫措置の適用に関する協定」(SPS 協定) と 「貿易の技術的障壁に関する協定」(TBT 協定) であり、食品原料・飼料や種子植物の輸出入 (国際貿易) において、どちらもカルタヘナ議定書と重なる部分が多い。カルタヘナでの決裂後、モントリオール(1999/7)、ウィーン(1999/9)で非公式会合を続け、2000年1月、モントリオールでの再会合を迎える。

2000/1/20−28 モントリオール 特別締約国会議再会合 ようやく採択

年表では 「議定書ようやく採択。最終日の28日も徹夜の交渉が続き、採択は29日早朝4時35分だった」 とある。議定書の条文の一部 (第27条、責任と救済) の成文化を先送りにするなど、議定書の中味より、批准することだけが目的という様相を呈し、成立後も多くの問題が生ずることはこの時点ですでに予測されていたと言える。

毎日新聞 (2000/2/3) は 「環境保護か自由貿易か ルール確立できず 穀物輸出国と輸入国対立」 の見出しで、「輸入を拒否した国と輸出国でトラブルが起きた場合、自由貿易の原則 (WTO 協定) と議定書のどちらを優先するかなどの問題は先送りされ、玉虫色の決着となった」、「下手に議論を始めると収拾がつかなくなるので、会議終盤は各国とも議定書の記述が具体的に何を意味するか議論しなくなった。今後、議論が再燃することは間違いない」 と報じている。

WTO 協定との対立は議定書本文でも想定されており、前文で 「貿易および環境に関する諸協定が相互に補完的であるべきことを認識し、この議定書が現行の国際協定締約国の権利・義務を変更することを意味するものではないことを強調し、この議定書を他の国際協定に従属させることを意図するものではないことを了解して、協定した」 と記されている。すなわち、「カルタヘナ議定書と WTO 協定のどちらが優先するというものではなく、国際貿易や持続可能な発展のために、互いに協力してやっていきましょう」 ということだ。しかし、トウモロコシ、ダイズなど組換え作物の主要輸出国である米国、カナダ、アルゼンチンなどは WTO 協定には加盟しているが、カルタヘナ議定書を現在も批准していない。EU各国や日本は WTO 協定に加盟し、議定書も批准している。1つの対象をめぐって2つの国際ルールが並立する以上、貿易上の混乱は避けられないことだったのである。

2003/9/11 議定書国際成立

議定書は2000年5月にケニヤが最初に調印し、2003年6月13日にパラオ共和国が50番目に調印した時点で有効となり、90日後の9月11日に国際成立した (日本は2003年11月21日に調印)。その後、紆余曲折 (うよきょくせつ) はあったものの、積み残しになっていたいくつかの課題も4回の議定書締約国会議 (MOP1〜MOP4) で進展が見られた。最大の懸案事項であった 「第27条、責任と救済」 は、2008年5月のボン会議でさらに先送りされたものの、2010年10月の名古屋会議での決着をめざして今後も特別作業部会が予定されている。この間の詳細は「情報:農業と環境の92号100号」を参照していただきたい。

EU 対 US、議定書対 WTO 協定

カルタヘナ議定書をめぐる各国間の対立は当初は、途上国と先進国の南北対立が最重要課題であった。しかし、1990年代半ばまで米国と同様に組換え植物の研究・開発が盛んであったヨーロッパ諸国で、90年代後半から市民の間に組換え食品に対する懸念、反発が急速に強まった。1998年10月、EU (欧州連合) が、新規組換え食品・作物の承認と輸入禁止を決めてから、組換え食品・作物をめぐる対立は、大西洋をはさんだ 「EU対 (南北) アメリカ大陸」 が主戦場となった。2000年1月末のカルタヘナ議定書採択時に予想されたように、WTO 協定をめぐる紛争である。2003年5月、アメリカ、カナダ、アルゼンチンなど穀物輸出国側は、EUの輸入規制 (モラトリアム) を科学的根拠がなく、自由貿易の原則に反するとして WTO 紛争処理委員会に提訴した。 日本経済新聞 (2003/7/29) は、「遺伝子組み換え作物規制 米欧摩擦 泥沼の様相」 の見出しで、「欧州では BSE (牛海綿状脳症) 事件などで、食品の安全性への意識が極めて高くなっている。一方、米国は来年の大統領選を控え、農業団体や食品業界からの突き上げがあり、強硬姿勢を崩せない。背後事情は複雑で対立は長期化しそうだ」と報じている。

WTO 訴訟の裁定を待たず、EUは2004年5月、1998年から6年間続いた組換え食品・作物のモラトリアムを解除した。2006年2月、WTO 紛争処理小委員会は 「EUの輸入規制には科学的根拠なし」 とする中間報告を出し、同年9月の最終報告に対して、EUは上級委員会に提訴せず、「EUのモラトリアムは WTO ルール違反」 が確定した。このようなニュースが報じられるたびに、「EUはこれから組換え食品や作物の導入に前向きになるのではないか!」 という期待感が組換え体推進・開発側から発せられた。しかし、2008年の現在も、EU各国で組換え食品・作物に対する受容意識が著しく好転したという報告はない。

モラトリアム解除後、EUは北米、南米から組換えトウモロコシやダイズの輸入を再開した。しかし、輸入できるのは、EUで食品・飼料安全性が承認された系統 (品種) だけである。組換え作物の開発企業 (輸出側) がEU (輸入側) に対して、組換え食品・作物の輸入承認を申請しても、承認までに複雑な手続きと多大な時間を要し、作業は遅々として進まない。一方、北米、南米では次々と新しい形質を導入した組換えトウモロコシやダイズが承認され、古い品種に代わって栽培されている。輸出側はEU向けの積荷に未承認の系統が混入しないように管理しており、EUが加工用や飼料用として輸入できるトウモロコシやダイズの系統は限られている。しかし、たとえ微量であっても、EU向け積荷から 「未承認系統」 が検出された場合、「食品・飼料安全性がまだ承認されていない違法系統」 となり、全量回収、返却処分となるトラブルが続いている。

カルタヘナ議定書は、組換え生物の国境を越えた移動に焦点を置き、輸出側の事前の情報提供によって、受け入れ側がリスク評価を行い、輸入の許諾をすることを基本原則としている。輸出する側は、事前の情報提供 (輸入許可申請) をしているが、その審査と承認に時間がかかる。輸出国ですでに安全性が承認されただけでなく、EUの独立評価組織である欧州食品安全機関 (EFSA) によって 「安全性に問題なし」 と判断されても、欧州委員会、欧州閣僚会議で承認が下りず、差し戻し、再審査が繰り返されているのが、今のEUの状態だ。これらの未承認系統は除草剤耐性や害虫抵抗性Bt作物であり、とくに新規の遺伝子を導入したものではない。

確かに、カルタヘナ議定書の原則に基づけば、「輸入国側で未承認のうちは輸入は認められないし、見つかればルール違反」 である。しかし、生物多様性や人の健康への安全性とは本質的に関係のない問題が、組換え体をめぐる最重要課題となっている今の状態は、条約や議定書の設立趣旨から、かなり逸脱しているのではないか。27か国の連合体となり、一国だけでは物事を決められないEU事情も事態をさらに複雑にしている。たとえば、ルーマニアは2006年まで除草剤耐性ダイズを約10万ヘクタール商業栽培していたが、EUがこの系統の栽培を承認していないため、2007年1月、EU加盟にともない、自国での栽培ができなくなった。8年間(1999〜2006年)の栽培期間中に、ルーマニアでは組換えダイズによる環境や人の健康などバイオセーフティに関わるリスクは1つも報告されていない。EUにおける組換え食品・作物に関する話題は科学的知見だけでは理解できない、政治・経済の絡んだ複雑怪奇な世界である。

おもな参考情報

カルタヘナ議定書発効5周年記念 (生物多様性条約事務局 2008/8/28公表)
http://www.cbd.int/biosafety/anniversary/ (対応するページが見つかりません。2012年1月)

国連事務総長談話 (生物多様性条約事務局 2008/9/11公表)
http://www.cbd.int/doc/speech/2008/sp-2008-09-11-cp-unsg-en.pdf

環境省バイオセーフティ・クリアリング・ハウス カルタヘナ議定書関連情報 (「議定書の概要」)
http://www.bch.biodic.go.jp/bch_1.html

情報:農業と環境 92号、GMO情報:カルタヘナ議定書の宿題
http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/092/mgzn09210.html

情報:農業と環境 100号、GMO情報:カルタヘナ議定書の宿題「責任と救済」―結論は2010年名古屋へ持ち越し
http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/magazine/100/mgzn10009.html

Anderson & Nielsen (2001) GMOs, the SPS agreement and the WTO. In The Economics of Quarantine and the SPS Agreement. pp.305-331, CIES and AFFA Biosecurity Australia. (遺伝子組換え作物、衛生植物検疫措置の適用に関する協定、および世界貿易機関)

(生物多様性研究領域 白井洋一)

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