前の記事 | 目次 | 研究所 | 次の記事 2000年5月からの訪問者数
情報:農業と環境 No.110 (2009年6月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

寄稿: 長ぐつをはいたニホンジカ

長野県諏訪郡富士見町の樋口太重氏より記事を寄稿いただきました。農業環境技術研究所の元職員でもある樋口氏は、国・県・独立行政法人の試験研究機関で長年にわたって土壌肥料分野の研究に従事された方です。この 「情報:農業と環境」 でも紹介された、JA全農東京肥料農薬事業所が作成した冊子: 土と肥料の講話「地息」 および 土と肥料の講話 追補「地息」 の著者でもあります。

1.里山の今昔

若宮集落の北西へ200メートルほど行くと、中山(西中山)と呼ばれる里山がある。里山は若宮から大平、松目集落の境まで連なり、その総面積はおよそ19ヘクタールとみられる。そこには墓地、原野、畑も存在するが、大半はアカマツ、スギ、ヒノキ、カラマツ、ナラ、クリなどの林木で占められている。大小あわせて60人ほどの地権者は、古来より林木を育成するかたわら、堆肥(たいひ)をつくるための木の葉かき(落葉かき)に、また、燃料を確保するための薪(まき)づくりや炭焼きなどの作業に毎年精を出した。手入れの行き届いた里山は明るく美しさがあり、とくに晩秋は人々の声が響いて活気にあふれていた。

ところが昭和40年代のなかばころから、外材輸入の増大に伴うわが国林業の大幅な後退、農業の担い手不足などと呼応して、里山の手入れはしだいに影を潜めた。枝打ち、間伐をまったく行わない林木は、蔓(つる)性の植物にからまれて枯損(こそん)し、倒木がいたるところに散乱するようになった(写真1)。一方、ブッシュ、クマザサなどに一面に覆われた林地は、林内の歩行が困難になるばかりでなく、その境界を見失ってしまうほどに荒れ果てた。このように、森林の生命力の衰退は、その暗さをいっそう際立たせることになった。

里山の現状(写真)

写真1 里山(西中山)の現状 (平成21年4月17日撮影)

里山では近年、林地に毒性キノコの群落が目立つこと、林木や作物を食害するニホンザルやニホンジカなどのほ乳動物が棲(す)みつくなど、里山の生態系は以前とはかなり異なるようである。とくに林内の奥地に一人で入るのはやや危険と感じるほどに、里山の暗いイメージは人と森との間に大きな隔たりをつくった。

2.里山の手入れで見つけたもの

平成21年4月、筆者は先祖伝来の林地の手入れのために再びその里山を訪れた。今回向かう林地は面積が約330平方メートルと小さいが、伏屋長者跡(通称五輪様)に並ぶ、人通りの多い便利な場所にある。林地といっても、実は、かつて先祖たちがアワ、ヒエ、キビなどをつくった畑であり、地目は現在でも畑となっている。ところが、10年以上ずっと放置してきたことから、いま、畑はクマザサや落ち葉で覆いつくされた地面にヤナギなどの雑木が乱立する、見るからに雑木林といっても過言でない状態となっている(写真2)。

雑木林となった畑(写真)

写真2 雑木林となった畑 (平成21年4月16日撮影)

今回の手入れ作業は、前回(2月)伐採した一部の雑木や枝を林地内の一か所に片付けることであった。ブッシュなどに長ぐつをからまれながら運び出す作業は、65歳の筆者にはけっこう骨が折れる。息がはずむし、しだいに汗がにじんでくるのがわかる。

作業が中盤にさしかかったとき、筆者は異様な光景を目の当たりにした。それは、濡(ぬ)れ落ち葉の中に見え隠れする白骨の集団である(写真3)。散乱した気味の悪い白骨をよくみると、1頭のニホンジカの角、足、あばら骨などであることを確認できた。しかし、2か月前、ここにはその白骨がなかったことは確かだ。近年、ニホンジカが人里に出没するのを多くの人たちが見かけている。また夜間、自家用車にぶつかったという話も聞く。この発見場所が道路から約10メートル入った平地林内にあったことから、ニホンジカはおそらく交通事故に遭遇したのかもしれないと思われた。角の大きさや枝角の数は個体差があるというが、このニホンジカは角の形状からみて、満4歳以上のオスと見受けられた。鋭く大きい角や骨格から想像して、ぶつけられた車はかなり破損したかもしれない。

ニホンジカの白骨(写真)

写真3 白骨化したニホンジカ (平成21年4月16日撮影)

3.人間とニホンジカとのかかわり

ここで、ニホンジカについて若干の説明をしておく。

古代から日本人はシカとのかかわりが深い。狩猟民族である縄文時代の人たちは、シカを衣食の重要な供給源とみなし、非常に近い距離でかかわりあってきた。弥生時代以降には、食糧資源のなかでのシカの比重は相対的に低下したが、シカを「霊獣」として扱う傾向が芽生えてきた。日本の神話や伝承では豊作を願い、水田にシカの死体や血を捧(ささ)げるような儀式がある。シカとイノシシは同じ農作物や田畑を荒らす害獣ではあるが、シカだけは日本人が農耕民族化していくなかで、「霊獣」としての地位を獲得していった。これは、1年ごとに生え替わる角が1年のなかで同じようなスケジュールで生育する水稲とかかわりがあると考えられたのであろう。

日本国内に生息するニホンジカは、エゾシカ、ホンシュウジカ、キュウシュウジカ、マゲシカなどの7つに分類され、北の方ほど体が大きいという。オスの体重は小さいもので30キログラム、大きいものは140キログラムにも及ぶ。ニホンジカの角はオスだけに生え、成獣の角は、毎年春先に前年に生えた古い角が脱落して、すぐに新しい角が生えはじめ、徐々に大きくなって枝を増やしていくといわれる。

ホンシュウジカの剥製(写真)

写真4 ホンシュウジカの剥製品 (富士見町町民センター内で撮影)

写真4のニホンジカは、八ヶ岳で捕獲されたホンシュウジカの剥製(はくせい)である。

4.長ぐつをはいたニホンジカ

ここまでの話の内容は、べつに面白くもおかしくもない。

ところが、ここから話は一転し、推理性を帯びてくる。その発端は、ニホンジカ白骨の近くに人間のはく黒色の長ぐつが片方だけ転がっていた事実である。よくみると長ぐつのサイズは25.5センチである。比較的新しい長ぐつの、何で片方だけがそこにあるのかと不思議に思った。ニホンジカがどこから持ち去ってきたのであろうか。それとも、だれかが置き去りにしたのであろうか。もう一度その周囲を見渡したとき、2〜3メートル先のクマザサの藪(やぶ)から、もう片方の長ぐつがでてきた。これで男性の長ぐつが一足そろったことになる。長ぐつに名前があるかもしれないと中をのぞいてみたが、どこにも記載されていない。

人がニホンジカに襲われたのではないかとその辺を探してみたが、そのような気配はまったく感じとれない。集落の放送でもそのようなことは聞いたことがない。ヨーロッパには「長ぐつをはいた猫」という民話があるが、「長ぐつをはいたニホンジカ」というのは、見たことも聞いたこともない。いったいここで何が起こったのか、だんだんと薄気味悪さを感じてきた。

5.現代のシカ事情

作物や希少な高山植物を荒らすため、殺処分されているニホンジカの肉を活用できないかと、長野県内の各地でさまざまな方策が講じられている。県調理師会は平成21年2月、シカ肉料理のレシピ集を発表した。佐久市ではシカ肉料理の試食会が開かれ、飯田市ではシカ肉によるペットフードの試食販売も行われた。シカ肉の料理法は浸透しつつあるが、いかに安くシカ肉を安定的に流通させるかという重要な課題は残されたままだ。シカ肉は1キログラムあたり4千円前後であり、同量の国産牛肉を購入できる額に匹敵するという。当然、県内のレストランで提供されるシカ肉メニューも高価格になり、味や価格より物珍しさが先行している。

県野生鳥獣対策室が価格低下の進まない理由に挙げるのは、捕獲したシカを山奥から里まで搬出する手間と、1頭から取れる肉量の少なさにあるという。駆除頭数は年間1万頭以上だが、活用されているのはわずかに8%である。また、体重が20キログラムあるシカからロースなどの上質な肉の部位が取れるのはせいぜい8キログラム程度という。このため県では、これまで捨てられてきたすじ肉の部位を使った料理や、イヌ用のペットフードとして活用することで、値段を下げていきたい考えのようだ。

同対策室によると、県内のシカ肉解体業者は6か所ある。そのうち1か所は県の補助で最近完成させるなど流通面での対策を進めている。しかし、ここ数年はシカ肉価格がほぼ横ばい状態にあるという。「牛肉や豚肉と価格勝負するのは難しい。100%自然な餌を食べたヘルシーな肉としてこの値段を理解してもらい、シカ肉を食べることが希少な高山植物などを守ることにつながると考えて協力してもらえれば」 と、関係者は呼びかける。

6.ヤマビルとニホンジカ

近年、森林内でのヤマビルによる人体への被害が指摘される。ヤマビルによる被害は吸血魔といわれるように、血液を吸われることによる出血である。出血が原因で生命にかかわることはないが、傷口から細菌類が侵入し、じんましんや発熱が伴うこともあるという。ヤマビルは陸にすむヒルであり、落ち葉の下など湿気の多いところを好む。ヤマビルは、円筒形で体長2〜5センチ、体の前後腹面に吸盤があり、ほふく運動で人や動物に接近し付着する。寿命は3〜5年程度といわれる(写真5)。

ヤマビル(写真)

写真5 ヤマビル
(背景の目盛りは1センチ四方)

ヤマビルの活動期は4月から11月までで、とくに生息や活動に適した気象条件(気温、湿度及び降水量)になる6月から9月までは生息密度も高まり、とくに雨中と雨後は活動が活発となる。

ヤマビルの活動域の拡大は、人や野生動物が媒介するという。森林における大型ほ乳類の生息状況とヤマビルの個体数との関係を調べた山中ら(東大千葉演習林)の報告によると、ヤマビルの年間採取個体数とニホンジカの生息密度との間には正の相関が認められている。この報告にしたがうと、近年のニホンジカの異常な繁殖数は、同時にヤマビルの増加に加担していることが伺える。

7.謎解き

 さて、西中山の里山にはどれほどのニホンジカが生息し、またヤマビルが採取できるかは全く不明である。しかし、本稿ではこの視点から、先述の「長ぐつをはいたニホンジカ」の謎解きをしてみたい。

いま、市場におけるニホンジカの肉が高価格で取引されることを前に述べた。猟師たちには、ニホンジカはかなり魅力的な対象動物といえるが、それを捕獲するにはそれなりのコストとリスクが伴うことになろう。リスクを小さく、コストを安く、さらにもうけを多くしようとすれば、捕獲場所として足場の悪い険しい山岳地帯は避けることになろう。また、ニホンジカの解体作業もできれば自身で手がけてみたくなるのが人情だ。とすれば、禁猟区であるという点を除けば、人里に近い里山はニホンジカの捕獲に格好(かっこう)の場所を提供することになろう。

ここからの話は筆者の推測の域を脱しないことを、まずお断りしておかなければならない。脳裏に浮かぶ下記の推理が、どれほど確かなものであるかは今後の検証に委(ゆだ)ねたい。

「銃を片手に黒い長ぐつをはいた一人の猟師が今年の2〜3月ころ、禁猟区であることを承知のうえで西中山に入った。そこで運よく、1頭のオスのニホンジカに遭遇する。腕に自信のある猟師はただちに銃を構えて一発でとどめをさした。しかし、殺傷した100キログラム近いニホンジカをひとりで道路わきの車まで運び出すことは容易でない。そのとき、足場がよく、道路に近いうえに小高い丘の上にあり、解体作業をしても人目にも触れない筆者の雑木林(写真2)が目に入った。解体のための小道具をそろえて、さっそく作業を開始した。暗くならないうちに作業を終えようとする意気込みが、解体包丁をもつ手に小刻みに伝わる。

と、そのときである。猟師の両足に何とも言えない痛痒(いたがゆ)さがはしった。でも、早く終わらせなければ日没となるとの焦りが生じ、シカの解体は痛みをこらえての必死の作業となった。それを終え、堪えていた長ぐつを急いで脱ぎ、くつ下を下ろしてみると、足のあちこちに虫にさされたような腫(は)れた跡があり、ところどころに血がにじんでいた。目を凝らすと、両足の皮膚には茶色の小さな虫がへばりついている。気味悪いやら腹立たしいやらで、いそいで片方の長ぐつをその場に投げ捨てた。そして、もう片方の長ぐつもあたりにほうり投げた。いま解体したばかりのシカ肉、内臓、毛皮などをあわててビニールに詰め、くつ下のまま駆け出し、道路わきに停めた自家用車まで運んだ。帰路の運転中、猟師の頭のなかはニホンジカのことでいっぱいで、どのようにして自宅に帰ったかはまったく記憶になかった。

猟師は、ニホンジカの祟(たた)りを恐れ、立派な角があるニホンジカの頭部を持ち去らなかったこと、そして、自身の長ぐつを夢中で捨てたことだけが脳裏に強く焼き付いている。」

筆者は想う。「猟師の足の吸血魔とはヤマビルに違いない。しかし、猟師にはそれがニホンジカの祟(たた)りに思えたことであろう。ニホンジカの体毛に潜むヤマビルが解体作業中に猟師に乗り移り、さらに長ぐつ内の足を襲ったことも忘れて。」

ひと通りの手入れ作業を終えた筆者は、様子を見るためにその長ぐつを雑木林の枝にかけ、証拠のシカ角を預かり帰宅した。

(長野県諏訪郡富士見町 樋口太重)

前の記事 ページの先頭へ 次の記事