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農業と環境 No.121 (2010年5月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介285:食のリスク学 ―氾濫する「安全・安心」をよみとく視点、 中西準子 著、 日本評論社(2010年1月) ISBN: 978-4-535-5874-4

環境リスク学を築き上げてきた著者が、食の安全・安心や食と健康にまつわる問題について、リスク管理・リスク評価の視点から読み解く。食の安全と関連して、環境の問題についてもいくつか取り上げている。

第1部は大学主催シンポジウムでの講演、「食の安全を考える−安全の費用と便益」 の収録。第2部は、フードファディズム (食べ物の栄養が健康や病気へ与える影響を過大に評価したり信じたりすること) を日本に初めて紹介し、食情報等の問題に取り組んでいる食料化学者、高橋久仁子氏のインタビュー(対談)。第3部では、サイエンスライター松永和紀氏を聞き手に、食の安全問題について論争点を取り上げ、考えを語る。そして第4部は、ご自身のブログの中からの、食の安全に関する記事の抜粋である。以下、内容のいくつかを紹介する。

食の安全・安心は、リスクで定義することで定量的・半定量的評価が可能となり、政策目標とすることができる。多くのリスクはそれ単独で存在するのではなく、トレードオフの関係にある。そのため、あるリスクを低減すると他のリスクが増大したり、新たなリスクが発生したりする。水道水の塩素消毒は、塩素処理によって発生するトリハロメタンによる発がんリスクと、殺菌を止めることによる細菌感染リスクのトレードオフにある。ペルーでは、発がんリスクをゼロにしようとして塩素消毒を中止した結果、コレラ患者が発生し、多くの死亡者が出た。感染リスクと発がんリスクはそれぞれ1万分の1と100万分の1であるが、リスク評価・リスク管理がなかったために、結果的に低い方のリスクを避け、高い方のリスクの発生を引き起こしたことになる。

BSE(狂牛病)の全頭検査について、問題が起こった当初は情報が少ないためにリスクを大きく見積もらざるを得ず、全頭検査という対策がとられた。しかし、BSEのリスクが小さいことが判明し、全頭検査がリスク削減に効果がないことが明らかになったあとも、全頭検査が続けられていると指摘する。リスク推定値は情報量によって変化するが、当初リスク評価による全頭検査の意味を説明せず、全頭検査で安全が確保されると思い込んでしまった。このことが、リスク削減の効果がないことが明らかになったあとも全頭検査が続けられている背景にあるという。

食べ物に関して、科学的に見ておかしな情報やコマーシャルが氾濫(はんらん)している。砂糖は悪いと言ったかと思うと、記憶力を高める効果があるなどと推奨する。牛乳の高温殺菌はカルシウムをこわすなどとして、低温殺菌がもてはやされたこともあった。アミノ酸飲料等に関しては、飲めばやせると思わせるような売り込みがなされている。リノール酸神話が一段落したと思ったら、次はオレイン酸の効果である。それらの裏にあるのは、強く少しでも良くなりたい、他の人よりも健康でありたいという健康願望であり、消費者は次から次へと新しい、しかも安易なものを追い求めていく。これをある種の健康競争状態と呼び、背景には商業主義と、それに巻き込まれてしまっている栄養学の現状や教育の問題があると指摘する。

有機農業については、環境にプラスという思想が先行し、栄養塩類など実際の環境への影響や微生物汚染の問題は考慮されない傾向がある。遺伝子組換え作物の環境影響評価に関しては、アダプティブ・マネージメント(順応的管理)のような考え方で行くべきだという。これは、不確実性が高いものに対して予防原則を適用するのではなく、栽培試験ではモデルをつくり、実測もして確認しながら管理していくというアプローチである。組換え植物に関しては、新しい試みとして市民パネルが参加するコンセンサス会議が行われているが、市民参加の意義と専門家の役割の混同を懸念する。

産業にとっても安全評価は不可欠であるものの、短期的にはリスク評価が企業生命にかかわることもある。一方、安全を求める市民運動は、ファクトから出発したものが、あるところで思想に転化してファクトから外れはじめ、時代の変化とともに間違ってしまう可能性がある。こうしたことから、リスク評価者は企業からも市民運動側からも、常に批判されながら仕事をしなければならないという覚悟が必要という。また、食品安全委員会に関しては、リスク管理とリスク評価を別にするという考えで発足したことからくる限界を、専門家に関してはその狭さと自分の都合の良いところだけを広めようとする 「研究者の病理」 と呼ぶ傾向を指摘する。

日本の現状を見ると、食品の安全問題や食と健康の問題など、世の中の人はほとんどわかっていないのではないかと不安になるが、長い目で見ると相当よくなっていると著者はいう。その言葉は救いである。

目次

第1章 食の安全―その費用と便益―

第2章 食べ物情報 vs. リスク (高橋久仁子さんとの対談)

第3章 食をめぐる論争点―わたしはこう考える (ききて 松永和紀さん)

第4章 さまざまな食の問題

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