かつて欧州でみられたペストのように、人類はたびたび感染症に襲われ、大きな被害を出してきた。最近をみても世界は新型インフルエンザ、エボラ熱など、常に新しい感染症の恐怖にさらされている。21世紀、人類は感染症との闘いに勝利することができるのだろうか。
本書の副題にあるように、著者は、感染症を根絶しようとする努力は将来の新たな感染症の大発生につながるものであって根本的な解決策とはなりえず、病気(病原体)との「共生」こそが必要と結論する。
感染症は、文明の成立によってもたらされた。約1万年前の農耕の開始により定住化が起こり、食料に余力が生まれて社会機構は大型化していった。今から約5000年前、メソポタミアに都市国家が成立し、急性感染症が定期的に流行するために必要なだけの人口規模が初めて成立し、麻疹(はしか)の誕生となった。その後も次々と生まれた大都市が、感染症のゆりかごとしての機能を果たすこととなる。
歴史の中で、突然発症してやがて謎のように消えていった感染症がある一方で、新たに生まれた感染症もある。1976年に出現したエボラ出血熱や2003年に出現した重症急性呼吸器症候群(SARS)は、散発的ではあるが猛威をふるった。エボラ出血熱はゴリラやチンパンジーのような高等霊長類にも感染して大きな被害を及ぼしている。SARS は700人以上の死亡者を出して終息した。これらのウイルスが消滅したのか、それとも今もどこかに潜んでいるのかは不明である。
ウイルスのように、宿主の存在なしでは生存できない病原体の場合には、病原性は変化する。これがウイルスのヒトへの適応段階であり、以下の5つの段階に分けて考える。 (1) 家畜や獣から傷を通して感染するがヒトからヒトへの感染は見られない段階、 (2) ヒトからヒトへの感染は起こるが感染効率が低いためにやがて流行は終息に向かう段階、 (3) ヒトへの適応を果たし定期的な流行を引き起こす段階、 (4) ヒトに適応してヒトの中でしか存在できない段階、それに、(5) ヒトに過度に適応したために広を取り巻く環境や生活の変化に適応できずヒト社会から消えていく段階。
こうして感染症は、新たに出現するものと社会から消えていくものの動的平衡状態にあり、種類や構成は時代や社会とともに常に変化していくことになる。
この変化を病原体の側からみれば、感受性をもつ新たな宿主に出会ったとき、適応は完全なものではなく、感染を繰り返す中で、宿主体内の総量を高めようとする。適応が不完全であるほど、ウイルスは体内の総量を高レベルに維持し、宿主からの淘汰に耐えようとする。しかしいったん適応すれば、宿主から淘汰の圧力を受けることはなく、病気を起こすことは自らの生存のために不利になるため、最終的にはウイルスは宿主と安定した関係を築くことになる。
しかし、適応に完全なものはありえない。ある適応を果たしても、環境が変化すれば新たな環境に対して不適応となる。ある種の適応は、短い繁栄とその後の長い混乱をもたらすことになる。その意味から、病原体の根絶は、過去に感染症に抵抗性を与えた遺伝子を、淘汰に対して中立化し、その後の破滅的な悲劇につながる可能性を指摘する。
21世紀には、共生に基づく医学や感染症学の構築が求められているとするが、共生はそのためのコスト(犠牲)を生むことにもなる。共生はそうしたことを踏まえた上で模索されなくてはならないものであり、それは21世紀の大きな挑戦になる、と結んでいる。
この「共生」の考え方は、感染症とヒトとの関係に限らず、環境問題や自然災害、さらには社会問題に関しても、21世紀を生きる上で示唆するところは大きいといえそうである。
目次
プロローグ 島の流行が語ること
第1章 文明は感染症の「ゆりかご」であった
第2章 歴史の中の感染症
第3章 近代世界システムと感染症―旧世界と新世界の遭遇
第4章 生態学から見た近代医学
第5章 「開発」と感染症
第6章 姿を消した感染症
エピローグ 共生への道