前の記事 | 目次 | 研究所 | 次の記事 2000年5月からの訪問者数(画像)
農業と環境 No.142 (2012年2月1日)
独立行政法人農業環境技術研究所

本の紹介 319: 大学とは何か、 吉見 俊哉 著、 岩波書店 (2011年7月) (岩波新書) ISBN978-4004313182

大学の世界ランキングにおける日本の大学の低下と新興国の大学の台頭、大量に生み出される学生の就職率の低下、グローバル化の時代に内にこもる学生、大学院重点化の結果としての大学院教育の質の低下と若手研究者ポストの不安定化等々、日本の大学を巡る話題は何とも暗い。最近話題の秋入学への移行の動きも、大学人の危機感の強い表れである。

大学とは何か、大学はどこへ向かおうとしているのか。本書は問いに対して、大学の歴史から応えようと試みる。そこには時代の荒波にもまれながら、誕生、衰退、そして再興と、大きく変動して来た大学の姿がある。そしていま、大学は危機にある。本書の内容は多岐にわたっており、教育の歴史に関する知識の乏しい門外漢にとって読むのは容易とは言い難いが、日本の大学と科学の現状と今後を考える上で、なるほどと考えさせられるところが多かった。

大学は、12〜13世紀の中世ヨーロッパの自由都市を舞台に誕生する。その時代、都市を拠点に人や物の広域的な交流が活発化し、大学はそうした中世の移動民たちが結びついたネットワークの結節点として出発し、教皇権力と皇帝権力の対立などパワーバランスを巧みに利用して発展していく。したがって、当時の大学は 「越境性、脱領域性」 を本質的に有しており、しばしば都市を移動した。移動が可能であった背景には、教育がすべてラテン語で行われており、カリキュラムにも共通性が高いなど、大学教育に全ヨーロッパ的画一性・共通性があったことがあるという。

こうして自由都市を基盤にして発展した大学は、14世紀に入り自由都市が衰退に向かうとともに全ヨーロッパ的な統一性・画一性が崩壊、知識の横断ネットワークとしての基盤が喪失、衰退していく。さらに16世紀の印刷術の発明により著者という新たな知の担い手が登場し、17〜18世紀の出版業の勃興(ぼっこう)により、都市ネットワークの時代から出版社に媒介される知のネットワークの時代、印刷メディアの時代へと変わっていった。一方、大学は、知識の生産や流通が決定的に変化した後も、伝統的な体制を変革しようとはせず、その結果、専門学校やアカデミーが大学に代わって新しい知識形成の中核となる。

このまま衰退・消滅してもおかしくない状況にまで陥った19世紀、大学は劇的に復活する。その力となったのは、台頭する国民国家の強力な支援を受けて国の知の中心となったことと、フンボルトの 「研究と教育の一致」 という理念に基づいて、ゼミナールや実験室といった研究志向のまったく新しいシステムが大学に導入されたことによる。その嚆矢(こうし)となったのはドイツ、ベルリン大学であり、時代遅れの大学はまったく新しい姿に改革されて、専門学校やアカデミーなどの制度をのみ込んで成長していく。こうして一方、それまでドイツなどに比べると二流という評価であった新大陸の大学は、1876年にジョンズ・ホプキンス大学で大学院をカレッジの上に設置し、「リベラルアーツ・カレッジとしての学部と、修士号・博士号の学位取得システムとして構造化された大学院を結びつける近代的な大学概念」が生まれた。これが大成功を収め、今日の世界の大学モデルとなっている。

一方、日本ではどうか。明治維新後の日本では、政府の方針のもとに西洋学知の徹底した移植が行われる。1877年に東京大学が誕生し、1886年、初代文部大臣森有礼(もりありのり)により帝国大学令がまとめられ、強いナショナリズムのもと、帝国大学を中核とする大学システムが国家により形成されていった。

戦後における日本の大きな大学改革の動きとしては、占領期における新制大学への一本化と、90年代以降の大学改革がある。占領期、それまでの帝国大学、大学、専門学校、師範学校、旧制高校等のさまざまな高等教育機関が 「大学」 に一元化された。この動きを主導したのは占領軍ではなく、東大総長の南原繁(なんばらしげる)であった。南原は、日本が国家至上主義者たちの暴走を許した原因は、人間意識の確立と人間性の発展の欠如にあるとし、専門科学の分断的な発展ではなく、知識の統一のために新しい大学の中核的システムとして 「一般教養」 を据えたのである。旧制高校や専門学校は、新しいシステムの実現にとって阻害要因であり、廃止または新制大学に統合されていく。

1968年から1969年にかけて全国の大学では学生叛乱(はんらん)の嵐が吹き荒れる。この要因は、戦後の私立大学が向かった利益第一主義と過度の学生増による教育の質の劣化であり、旧套(きゅうとう)から抜け出せない大学アカデミズムの権威主義であった。大学争議が大きな混乱をもたらした後、70年代半ばに大学は何事もなかったかのように平穏が戻り、多くは 「問題に蓋をしてしばらくは心地よき惰眠を貪る」 こととなる。しかしその一方で、大学紛争を深刻に受け止めた教育行政の側は検討を進め、中央教育審議会、臨時教育審議会、大学審議会等の答申として出され、90年代になって上からの大きな改革の波が押し寄せる。

1991年の答申では、多様なカリキュラム設計が可能となるよう、大学設置基準の規定の弾力化が提案。一般教育と専門教育の科目区分を廃止し、新制大学の制度の根幹として導入された 「一般教育」 が撤廃された。新制大学に対する 「専門知とリベラルアーツの統合」 という南原の理想はついに実現することなく、ここに消滅する。さらに、定員増や大学新設の規制緩和により、定員が抑えられることで維持されてきた大学の質は低下し、「大学はもはや 「学歴」 獲得をほとんど唯一の目的に就職前の若者たちが束の間の休息を楽しむ通過点」 となったとする。

国の大学院重点化政策も、研究者需要がすでに後退を始めた90年代になって打ち出される。大学側も、予算獲得のために大学院の学生定員を増やし、大学院過程を新設する大学が増えていった。こうした動きは大学院教育の質の低下につながり、大学院は、「90年代以降の日本の高等教育政策の失敗が集約的に現れる場所」 となったと指摘する。

いま大学に何が可能なのか。19世紀の大学の復興は、勃興する国民国家の後押しによって成し遂げられた。今日、国民国家は中長期的には確実に退潮に向かっており、ここで参考になるのは、アメリカ式のグローバルスタンダードより、中世の都市ネットワークを基盤にした大学概念であり、今日全人類が必要としているのは、個々の専門知だけでなく、「高度に細分化され、総合的な見直しを失った専門を結び合わせ、それらに新たな認識の地平を与えることで相対化する、新しいタイプのリベラルアーツではないか」、という。

本書はまた、知のメディアとしての大学の視点から、探求する。今日、デジタル化とインターネットの普及の中で、印刷術が知の根底を変え始めた16世紀にも似た状況に大学は直面しているのである。

今日、大学に突きつけられた課題は大きい。

目次

 序章 大学とは何か

 I 章 都市の自由 大学の自由

1 中世都市とユニヴァーシティ

2 学芸諸学と自由な知識人

3 増殖と衰退―大学の第一の死

II 章 国民国家と大学の再生

1 印刷革命と「自由な学知」

2 「大学」の再発明―フンボルトの革命

3 「大学院」を発明する―英米圏での近代的大学概念

III章 学知を移植する帝国

1 西洋を翻訳する大学

2 帝国大学というシステム

3 「大学」と「出版」のあいだ

IV章 戦後日本と大学改革

1 占領期改革の両義性

2 拡張する大学と学生叛乱

3 大綱化・重点化・法人化

 終章 それでも、大学が必要だ

あとがき

主な参照文献一覧

前の記事 ページの先頭へ 次の記事