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情報:農業と環境
No.14 2001.6.1

 
No.14

・温暖化

・大工原銀太郎博士のデスマスク:九州大学へ移管

・繁殖期を持つ小鳥のえさの供給と需要の季節的ずれによるエネルギー収支と適応度コスト

・本の紹介 37:東洋的環境思想の現代的意義

・本の紹介 38:環境土壌学,2.耕地の土壌物理,

・本の紹介 39:国際食料需給と食料安全保障,農林水産文献解題 No.29

・本の紹介 40:地球温暖化の日本への影響2001,

・本の紹介 41:環境と文明の世界史−人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ−,

・本の紹介 42:地球白書2001−02,レスター・ブラウン編著,

・本の紹介 43:環境の人類誌,岩波講座 文化人類学第2巻,

・資料:気候変化2001,IPCC地球温暖化第3次評価報告書−政策決定者向け要約−,


 

温暖化
 
 
1.日本の動向
 温室効果ガスの濃度が増加した結果,日本でも温暖化が現実のものになってきている。気象庁が5月5日までにまとめた「気候変動監視リポート2000」によると,日本の昨年の地上気温は平年を0.77度上回り,過去100年で第5位。降水量は3年ぶりに平年を割り込んだ。70年後には温暖化の元凶である二酸化炭素(CO)の濃度が倍増し,温暖化傾向がさらに進むと同時に降水量の減少が予測される。
 
 報告には,世界と日本の年間気候変動が分析され,温室効果ガスやオゾン層破壊の最新情報も盛り込まれている。日本では,都市化などによる環境の変化が少ない15地点を対象に調べている。
 
 2000年の日本の気温は,北日本で一時低温だったが,平均は平年を上回った。100年間で見ると,60年代から気温上昇が目立ちはじめ,90年代に平年を大きく上回る年が続いた。
 
 一方,昨年の降水量は平年の4%減。夏の西日本の少雨が響いた。降水量は90年代から平年を下回る年が目立つ。
 
 温暖化のかぎを握る大気中のCO濃度は,岩手県,南鳥島,与那国島の3地点で370〜373ppmの範囲にあり,前年に比べると1.2〜1.4ppm増加している。高度経済成長期以来,石油,石炭など化石燃料が多用され,地方も都市化の影響を免れなかったことが指摘されている。
 
 また,将来を見据えた温暖化予測を発表している。CO濃度が現在の倍に高まると想定した70年後の日本は,日最高,最低気温がそれぞれ平均2.2度上がり,その結果,最低気温が0度を下回る真冬日が減る見通し。寒波が弱まる日本海側は大雪の日が減る。太平洋側は,降水量の増加が見込まれる。
 
2.全球の動向
 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第3次報告書(2001)は,気候系についての理解の現状と,将来の気候予測についてまとめている。報告書では,過去50年間に観測された温暖化の大部分が人間活動に起因しているという,新たな,かつより確実な証拠が得られたこと,21世紀中に全球平均表面気温が,1.4〜5.8℃(第2次評価報告書では1.0〜3.5℃)上昇すると予測されることなどが指摘されている。
 この報告書は,これまでに観測されてきた気候の変化についてまとめている。
気温: 全球表面気温は,第2次評価報告書(1996)における評価より約0.15℃高く,1861年以降,0.6±0.2℃上昇した。これは主に1995年から2000年までが相対的に高温であったためである。新たな分析によると,20世紀における温暖化の程度は,北半球では過去1000年のいかなる世紀と比べても最も著しかった可能性が高い。
 
    1950年から1993年の間,陸上における夜間の日最低気温は,平均して約0.2℃/10年の割合で上昇した。この上昇率は,日中の日最高気温の上昇率(約0.1℃/10年)の約2倍に相当する。
 
積雪面積・海氷: 衛星観測データによると,1960年代以降,積雪面積は約10%減少しており,地表観測によると,20世紀中に北半球中〜高緯度の湖・河川の年間氷結期間は,約2週間短くなった。北半球の春・夏季の海氷面積は1950年代以降,約10〜15%減少した。また,ここ数十年間に,晩夏から初秋における北極の海氷の厚さが,約40%減少した可能性が高い。
 
海面水位: 20世紀中の全球平均海面の上昇は0.1〜0.2mであった。
 
その他: 20世紀において,北半球中〜高緯度のほとんどの大陸における降水量は,10年間に0.5〜1%の割合で増加した可能性が高い。また,熱帯の陸域における降雨量は,10年間に0.2〜0.3%の割合で増加したことが確実である。一方,大部分の北半球亜熱帯の陸域における降雨量は,10年間に0.3%の割合で減少した可能性が高い。20世紀の後半,北半球中〜高緯度では,極端な降水現象の頻度が2〜4%増加してきている可能性が高い。エルニーニョ現象は,過去100年間に比べ1970年代中頃以降,より頻繁かつ長期的に及び,その影響は強力になってきている。
 
二酸化炭素: 1750年以降,大気中の二酸化炭素(CO)濃度は31%増加した。現在の増加率は,少なくとも過去2万年では前例のない高い値である。過去20年間における大気中CO濃度増加の4分の3以上は化石燃料の燃焼によるものであり,残りの大部分は森林減少等の土地利用変化によるものである。過去20年にわたる大気中CO濃度の上昇率は年間約0.4%であった。
 
メタン: 大気中のメタン(CH)濃度は,1750年以降150%に上昇し,現在も増加し続けている。濃度の増加は,1980年代と比べ1990年代には減速し,かつその変動が大きくなってきている。CH排出の半分以上が,化石燃料の使用,畜牛,米作,埋立等の人為起源によるものである。
 
亜酸化窒素: 大気中の二酸化窒素(NO)濃度は1750年以降,46ppb(17%)増加し,現在も増加し続けている。NO排出の約3分の1が,農地土壌,畜牛,化学工業等の人為起源によるものである。
 
ハロカーボンガス: オゾン層を破壊し,温室効果ガスでもある多くのハロカーボンガスの大気中濃度は,1995年以降,モントリオール議定書で規制の対象となり,その後排出削減の効果があらわれ,微増又は減少している。一方で,これらの代替物質や一部の化合物(例えば,パーフルオロカーボン(PFCs)や六フッ化硫黄(SF))もまた温室効果ガスであり,それらの濃度は現在増加している。
 
放射強制力: 1750年から2000年の間の温室効果ガス全体の増加による放射強制力は2.43Wm―2と見積もられる。それぞれの寄与は,CO(1.46Wm―2),CH(0.48Wm―2),ハロカーボンガス(0.34Wm―2),NO(0.15Wm―2)である。
 
エアロゾル: 第2次評価報告書以後,硫酸塩等個々のエアロゾルの直接的な役割についての理解が進んだが,人為起源のエアロゾル全体の直接的な効果やその経時的な生成過程の定量化については,上記に掲げた温室効果ガスに比べて信頼度は,依然としてかなり低い。エアロゾルは,雲に対する影響を通じて,間接的な負の放射強制力を有することが明らかになってきている。
 
自然要因:2つの主要な自然要因(太陽変動と火山性エアロゾル)による放射強制力の変化は,過去20年,そしておそらく40年間は,全体として負であったと見積もられる。
 
気候予測モデル: 気候予測モデルの将来予測能力は進歩し続けており,自然起源及び人為起源の要因を考慮したシミュレーションにおいては,20世紀を通じて観測されている表面気温の広域的な変化を再現することができた。気候予測のモデリングにおける最大の不確実性は,依然として雲の影響,及び雲と放射・エアロゾルの相互作用に起因している。
 
地球温暖化に対する人為的影響の新たなより強い証拠: 過去1000年間の気候データによると,過去100年間の温暖化傾向は異常であり,これが完全に自然起源の現象である可能性は極めて低い。研究により,過去35〜50年の気候データにおける人為的影響の証拠が見いだされている。温暖化に対する人為的寄与に関するモデル予測結果は,多くの場合において観測事実と一致している。さらに,自然起源の要因のみに着目したモデルでは,20世紀後半の温暖化傾向を説明できない。
 
    人為起源の硫酸塩エアロゾル及び自然要因についての不確実性にもかかわらず,過去50年間において,人為起源の温室効果ガスに起因する温暖化の影響を見い出すことが可能である。これら大部分の調査によると,温室効果ガス濃度の上昇による温暖化の増加率及び程度の推計値は,過去50年間にわたって,観測された温暖化と匹敵する,又はそれより大きい結果となっている。新たな証拠に照らし,また依然として残る不確実性を考慮すると,過去50年間に観測された温暖化の大部分は,温室効果ガス濃度の増加に起因している可能性が高い。
 
 詳細は「情報:環境と農業 No.10,環境省「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第1作業部会第8回会合」の結果を公表」を参照されたい。
 
3.地球温暖化と農業
 地球の気候変動はさまざまな要因が組合わさって起きるが,そのうち人間の活動が原因で気温が上がることを地球温暖化という。現在の温暖化は人間の活動が活発になり,大気中の温室効果ガス濃度が高くなった結果と考えられている。
 
 地球は太陽から日射を受けている。大気中には日射を吸収する物質がほとんどないので,日射は大気をほとんど暖めることなく,かなりの部分が地表面に吸収され,地表面を暖めている。暖められた地表面は,赤外線を宇宙空間に向かって放射して冷えていく。
 
 もし熱のやりとりがこれだけならば,地表面は日射がとぎれると,熱を放出するのみとなり,気温が急激に低下する。ところが,大気中には赤外線を吸収する気体があるため,地表面からの赤外線を吸収して大気は暖まる。暖められた大気からは,再び赤外線が宇宙空間に向けて放出されるが,同時に地表面に向かっても放射され,地表面と下層の大気を暖める。
 
 すなわち,地表面は太陽からの日射による他に,大気からの下向きの赤外放射で二重に暖められている。このように,大気中に赤外線を吸収する気体があるため,地表が日射による加熱以上に暖められる現象を,「温室効果」と呼ぶ。また,大気中の赤外線を吸収する気体が温室効果を引き起こすから,この気体を「温室効果ガス」と呼ぶ。
 
 仮に温室効果ガスがなかった場合,太陽エネルギーと地球・大気系の放射する赤外放射とがバランスされた状態の地球の平均温度は,約−19℃になる。ところが,実際の地球の地表付近の平均温度は約15℃である。これは,大気中に含まれる微量気体である水蒸気(H2O),二酸化炭素(CO2),オゾン(O3),メタン(CH4),亜酸化窒素(N2O),クロロフルオロカーボン(CFCs)などが地表からの赤外放射を吸収して,地表付近の温度を高めているからである。これらのガス濃度が高ければ高いほど,熱放射に対する遮蔽効果(温室効果)も大きく,地表は高温に保たれる。これらの気体が温室効果ガスである。
 
 二酸化炭素は大気に大量に存在するため,赤外線の吸収能がすでに飽和状態に近く,濃度が増加しても吸収力はあまり変わらない。もちろん,二酸化炭素は全体の温室効果の約半分を占めていることは事実である。しかし,メタンおよび亜酸化窒素は遠赤外線の吸収能が大きいこと,また二酸化炭素のように吸収能が飽和していないので,吸収能が気体の濃度上昇に比例すること,吸収波長の多くが8から13μmにあり,水蒸気や二酸化炭素の吸収域と重ならないことなどのため,メタンや亜酸化窒素の濃度上昇が,ごく少量でも温暖化にきわめて強く作用する。現在のメタンと亜酸化窒素の大気濃度が地球表面の温度上昇に与える影響の割合は,全温室効果ガスの温度上昇の約四分の一に相当する。この割合は,今後ますます増加することが予想されている。
 
 IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に係わる政府間パネル)の報告書は,産業革命前と現在の温室効果ガスの濃度変化を明らかにしている(表1)。これによると,現在の大気濃度が,未だかって人類が経験したことのない濃度であることが明かである。とくに,メタン濃度の上昇は著しく,産業革命前は0.8ppmvであったものが,現在は1.8ppmvになっていおり,二倍以上の上昇である。また,1750年頃までは280ppmvであった二酸化炭素濃度は,現在370ppmvになっている。
 
 農業活動は,二酸化炭素,メタンおよび亜酸化窒素の人為的な発生源として重大である。農業活動は,年間の温室効果ガスの全増加量の5分の1は,農業活動に由来する。土地利用変動,とくに熱帯における農業,バイオマス燃焼および土壌崩壊にかかわる土地利用変動もまた主要な温室効果ガスの発生源である。
 
 農業活動からのメタンと亜酸化窒素の発生源,発生量およびその軽減の可能性を表2に示した。
a.メタン:農業活動から発生するメタンのもっとも重要な発生源は,反すう動物の腸内発酵,湛水した水田および嫌気的な家畜排泄物である。農業に関連するバイオマス燃焼も,全球的なメタン収支に影響する。吸収源は,対流圏のOHラジカルとの反応である。さらに発生量の10-20%が,好気的な土壌に吸収される。現在,発生量を軽減するため次の方法が提案されている。家畜については,飼料と養分バランスの改良・飼料消化能の増強,家畜排泄物については,被覆された貯留場・小規模の分解施設・大規模の分解施設の改良である。水田については,水管理・有機物管理・品種の選択・耕作管理の改良である。
 
 b.亜酸化窒素:亜酸化窒素は主に土壌中での硝化および脱窒過程で生成される。人為的な発生源として,農地への土地利用変動と窒素肥料を大量に施用する集約的な農業システムとがある。農業活動にかかわる他の発生源には,家畜排泄物窒素やバイオマス燃焼がある。
 
 IPCCのアセスメントは,土地利用変動が化石燃料の次に重要な人為的な二酸化炭素の発生源であると結論し,現在の耕地の生産システムを改善することを提案した。メタンについては,水田から40%,家畜のルーメンから36%,家畜排泄物から21%,バイオマス燃焼から27%それぞれ削減できると提案している。亜酸化窒素については,化学肥料から20%,家畜排泄物から20%,バイオマス燃焼から10%それぞれ削減できると提案している。
 
 現在,亜酸化窒素の発生量を軽減するため次の方法が提案されている。作物要求量に見合った窒素量の施用(必要な窒素量の土壌/作物診断,無機窒素の集積を制限する最小休閑期間の設定,最適分施計画,過剰生産地域における減産のための施肥体系など)。窒素循環の管理(作物生産における堆肥の再利用,作物残さ窒素の維持など)。新しい施肥技術の活用(新しい機能性肥料の活用,施肥位置の検討,葉面散布の検討,硝化抑制剤の活用,降雨期間に適合する施肥体系の確立など)。最適耕作/潅漑/排水。ここに提案した方法が実施されれば,作物や家畜の生産量は減少するよりもむしろ増加するであろう。表2に示すようにメタンと亜酸化窒素の発生は,これらのことが実施できれば軽減できるであろう。今後の研究の進展が期待される。
 
 
表1 人類の諸活動に由来する主要な温室効果ガスのまと


 

CO
 

CH
 

NO
 

CFC-12
 

HCFC-22

CF
 

産業革命以前濃度

280

 700

 275

  0

 0

 0
1992年濃度 355 1,714  311  503 105 70
1980年以降の年間
 
1.5
 
 13
 
0.75
 
18-20
 
7-8
 
1.1-1.3
 
濃度変化増加率 0.4 0.8 0.25 4 7 2
大気での寿命(年)

 
50-200

 
12-17

 
120

 
102

 
13.3

 
50,000

 
 
CO(ppmv) CH(ppbv) NO(ppbv) CFC-12(pptv) HCFC-22(pptv) CF(pptv)
 
表2 農業から発生するメタンおよび亜酸化窒素の軽減の可能性

発生源
 

推定発生量(Mt/yr)
 

(Mt/yr)削減ポテンシャル()
 

メタン

ルーメン家畜

80(65-100) 

29(12-45) 

36
  家畜排泄物 14(10-18)  3(2-7)  21
  水田 50(20-60)  20(8-35)  40

 
バイオマス燃焼
 
22(11-33) 
 
6(1.5-4.5) 
 
27
 
  合 計  166(106-211)  58(24-92)  35
亜酸化窒素
 
化学肥料
 
1.5(0.5-2.5) 
 
0.3(0.15-0.45) 
 
20
 
  家畜排泄物 1.5(0.5-2.5)  0.3(0.15-0.45)  20
  N固定 0.5(0.25-0.75)  -     -

 
バイオマス燃焼
 
0.2(0.1-0.3) 
 
0.02(0.01-0.03) 
 
10
 
  燃焼後の土壌 0.1(0.05-0.2)  0.01(0.005-0.015)  10
  森林変動 0.4(0.1-1)  0.08(0.04-0.12)  20

 
合 計
 
4.2(1.5-7.25) 
 
0.71(0.36-1.1) 
 
17
 
 
 

大工原銀太郎博士のデスマスク:九州大学へ移管
 
 
 熊澤喜久雄(東大名誉教授,農業環境技術研究所運営委員および研究レビュー外部評価委員)は,「大工原銀太郎博士と酸性土壌の研究:肥料科学,第5号,9〜46(1982)」の「はしがき」で次のように述べている。
 
 「明治以降における日本の土壌肥料学の発達の上において多くの足跡を残した研究者の先頭集団に大工原銀太郎博士がおられたことは周知のことである。
 
 江川(第6代農業技術研究所長)は,明治末期より大正末期にかけての酸性土壌の研究を括めて次のように述べている。「わが国における本格的な土壌研究は1880年(明治13)土性調査事業が開始された時に始まる。ついで設立された国立農事試験場においては,最初主として施肥法の研究がおこなわれた。土壌に関する研究は比較的遅く,明治末期に,まず土壌の無機成分の定量分析法の研究から始まった(1901年)。ついで当時ドイツにおいて研究主題となっていた,いわゆる石灰苦土率の適否に関する研究がおこなわれ,1905年頃には大麦を用いて秋田県大曲の陸羽支場において石灰を施した試験などがおこなわれた。
 
 この方面の研究は転じて塩基欠乏土壌の研究となり,他面,土壌の反応が留意されるに至って,いわゆる鉱質酸性土壌の研究が抬頭し,特に土壌酸性の研究は,世界的収穫とされる大工原の研究(1910〜14年)を先頭に,大杉繁(1912〜17年)・矢崎(1914年)・菅野(1918年)・小川(1918年)・川村(1921年)ら,多くの学者が研究をつづけてきた。これらの研究が,その後の畑土壌の研究に対する重要な基礎となったことは疑いない。」
 
 アジアモンスーン地域にあるわが国の自然条件は酸性土壌を広く分布させているが,この事実の発見と本質の追求の過程で,国土に立脚した土壌学が成立発展し,国際的にも大きく寄与した。この過程を大工原銀太郎博士との関連において追求してみたい。」
 
 この報文は,その後,●大工原銀太郎の略歴と初期の研究,●酸性土壌の研究,●酸性土壌の改良とその余波,●世界における大工原銀太郎,●直接置換説と間接置換説−大工原・大杉戦争−,●大工原銀太郎と塩入松三郎,●その後の大工原銀太郎,●現在の酸性土壌論,●あとがき,と続く。
 
 大工原博士は,大正15年(1926)3月に九州帝国大学総長(第3代)になる。その後,1928年から同志社大学の代第9代総長も務めた。博士の農業環境研究に関する偉大な成果は,冒頭に紹介した熊澤の著書を参考にされたい。ここでは,大工原博士のデスマスクのゆくえについて時間を追って紹介する。
 
1.昭和60年11月1日
大工原銀太郎の長女(大原賤子)および孫(大原春子)から久保祐雄(農業環境技術研究所第2代所長)あてに,故大工原銀太郎死面(デスマスク)が寄贈された。
石膏製ブロンズ加工(縦:30.0cm,横:22.5cm,高さ:15.5cm)
箱書(昭和9年3月10日,尚之寫の署名,松田尚之の落款)
 
2.昭和60年12月16日
久保祐雄から大原賤子・春子あてにデスマスク保管の約束。
 
3.平成13年3月25日
熊澤喜久雄東大名誉教授から陽 捷行(農業環境技術研究所所長)に,大原春子の陽あての承諾書が寄せられる。承諾書は,デスマスクを九州大学へ移管する旨の内容。
 
4.平成13年4月5日
陽 捷行から大原春子と熊澤喜久雄あてに,デスマスクを九州大学に移管する旨の連絡。
 
5.平成13年4月10日
坂井克己(九州大学大学院農学研究院長)から陽 捷行にデスマスクの九州大学への移管依頼。
 
6.平成13年5月15日
山田芳雄(九州大学名誉教授),和田信一郎(九州大学助教授),熊澤喜久雄(東大名誉教授),伊藤正夫(肥料科学研究所)の4氏来所。移管式をとり行う。
 
 

繁殖期を持つ小鳥のえさの供給と需要の季節的ずれによる
エネルギー収支と適応度コスト

 

Energetic and Fitness Costs of Mismatching Resource Supply and Demand
in seasonally Breeding Birds
D.W. Thomas et al., Science 291: 2598-2600 (2000)

 
 農業環境技術研究所は,農業生態系における生物群集の構造と機能を明らかにして生態系機能を十分に発揮させるとともに,侵入・導入生物の生態系への影響を解明することによって,生態系のかく乱防止,生物多様性の保全など生物環境の安全を図っていくことを重要な目的のひとつとしている。このため,農業生態系における生物環境の安全に関係する最新の文献情報を収集しているが,その一部を紹介する。
 

(要約)
 
 気候の温暖化によって,春の若葉の時期とその後のえさが豊富な時期が早まると,えさの供給と鳥のひなが大量のえさを必要とする時期とがずれてしまうため,鳥の繁殖に好適な時期が変化する。
 
 コルシカ島と南フランスの,地理的には離れているがよく似た条件の2つの生息地で,異なった時期に子育てをするアオガラ(blue tits)の個体群が調査された。コルシカ島ではえさ(ガの幼虫;毛虫)の豊富な時期と子育ての時期とが合っているが,南フランスでは時期がずれているため,そのずれが鳥のエネルギー収支と適応性にどのくらい影響するかがわかる。
 
 えさ供給とひなのえさが大量に必要な時期がずれてくると,親鳥の子育てのコストが増加して親鳥の代謝量が維持可能な限界を超え,その繁殖群の成鳥の生存率は大幅に低下してしまう。えさの供給と子育ての時期が一致しているコルシカ島では,親鳥の代謝量は低く,平均寿命が長いが,南フランスでは時期がずれているため親鳥の代謝量が高く,平均寿命が短い。
 
 えさを探すコストと生存率の関係から,活動に伴う代謝量は基礎代謝の3〜4倍程度が最適であり,これを超えると適応度が低下する。過度の代謝によって適応度が下がるという生理学的なメカニズムによって,地球が温暖化するとともに地球上の多くの鳥の繁殖時期が早まることを説明できる。
 
 

本の紹介 37:東洋的環境思想の現代的意義
−杭州大学国際シンポジウムの記録−,農文協,人間選書225
(1999) 720円 ISBN4-540-98223-0

 
 
 本書は,1997年4月21日から23日と,1998年3月23日から25日の二回にわたり,中国浙江省杭州市にある杭州大学日本文化研究所(現在:浙江大学日本文化研究所)で開催された国際シンポジウム「東方伝統環境思想的現代意義」(東洋の伝統的環境環境思想の現代的意義)の記録集である。「東洋思想における自然と人間の関係」,「東洋の伝統的宗教と自然保護」および「東洋の伝統的民衆思想にみる自然観」の三部からなっている。
 
 シンポジウム実行委員長の王守華氏の論文の中に次の文章がある。「現在流行している環境観は,産業革命以降に形成された近代的思考様式である。すなわち,主客両極対立のモデルであって,人間と自然の関係を処理する際に,主観(人間)が客観(自然)を認識し,自然を支配し,自然を改造することを強調するものである。・・・・しかし,東洋の伝統的思想は,人間は自然の一部であり,自然と対立するものではなく,一体化する関係であるとみなしている。・・・・・このような思考様式で人間と自然の関係を処理すれば,自然生態環境を比較的よく保護することができる」。以下に本書の目次を示す。
 
解説 環境思想における伝統的東洋思想の意義
−国際シンポジウム「東洋の伝統的環境 東京農工大学教授 亀山 純生
   思想の意義」の問題提起−  
 

 
歓迎のことば
 
杭州大学学長
 
鄭 小 明

 
挨 拶
 
浙江省環境保護局副局長
 
李 興 燦
     
I 東洋思想における自然と人間の関係    
東洋文化における自然と人間の関係 中国・中国社会科学院  

 

 
アジア太平洋研究所教授
 
黄 心 川
中国の伝統思想における天人関係と    

 
 その現代的意義
 
台湾・新アジア研究所教授 李   杜
儒学の生態環境思想とその現代的意義 中国・南開大学歴史研究所

 

 
教授
 
王 家 ?
儒家の和合思想と自然生態の保護 中国・四川省社会科学院  

 

 
哲学研究所研究員
 
陳 徳 述
荀況における自然保護の論理    

 
 −天人分離論の視点から−
 
日本・香川大学教授
 
村瀬 裕也
『老子』の自然観の現代的意義 中国・中国社会科学院  

 

 
哲学研究所研究員
 
下 崇 道
『老子』の生態哲学思想について 中国・杭州大学

 

 
哲学系副教授
 
王 志 成

 
壮士の「天,人」説と自然と人間の関係
 
中国・山東大学副教授
 
陳 紹 燕

 
墨子の「節倹」と環境保護
 
韓国・成均館大学教授
 
李 雲 九
『塩鉄論』における環境思想と 中国・杭州大学  

 
 その現代に対する啓示
 
哲学社会学系教授
 
屠 承 先

 
李退渓の自然観と環境問題
 
韓国・東儀大学教授
 
朴 文 鉉

 
熊沢蕃山の自然保護論
 
日本・京都大学教授
 
加藤 尚武

 
安藤昌益における自然思想の現代的意義
 
日本・農山漁村文化協会
 
泉  博幸

 
二宮尊徳思想における自然観
 
中国・一橋大学大学院
 
曾   貧
     
II 東洋の伝統的宗教と自然保護
   

 
イスラム教における環境思想と
その現代的意義
中国・山東大学哲学系教授 蔡 徳 貴
さらにいくつかの地球があったら 中国・中国社会科学院  
   どうであろうか 世界宗教研究所  

 
  −仏教文化と環境保護
 
仏教研究センター
主任研究員

 

方 広 ?
日本の伝統的自然観と環境思想    

 
 −生命主義的自然観解体の思想的契機
 
日本・東京農工大学教授
 
亀山 純生
日本神道における環境思想の現代的意義 中国・杭州大学  

 

 
日本文化研究所教授
 
王 守 華
神道の自然観    

 
 −人と自然とをつなぐ祭りを中心として 日本・皇學館大學助教授
 
本澤 雅史
     
III 東洋の伝統的民衆思想にみる自然観    
『月令』図式における伝統的環境思想と 中国・中国社会科学院  
   その価値 当方文化研究センター  

 

 
主任研究員
 
徐 遠 和

 
ことわざに見る江南「民家」の生態信仰
 
中国・杭州大学中文系教授 呂 洪 年

 
中国風水の魅力
 
中国・淅江省環境保護局
 
李 興 燦

 
現代日本における風水の流行と環境思想
 
日本・和光大学助教授
 
中生 勝美
日本的自然観と現代環境思想    

 
 −今西錦司の自然観の検討を中心に
 
日本・東京農工大学教授
 
尾関 周二
日本における地域社会研究の形成    

 
 −昭和初期『農村教育研究』誌の思想構造 日本・東京学芸大学教授
 
西村 俊一

 
日本民衆の自然観と近現代化
 
日本・和光大学教授
 
福島 達夫
日本の村落がもつ独自の民主主義と 日本・農山漁村文化協会
環境思想 常務理事 原田  津
     
IV 東洋における環境問題の現状と対策    
地球を救う最後のチャンス インド・  

 

 
元インド国家研究生院教授 リトラジ
 
法と生態道徳 中国・淅江省  

 

 
人民政府連絡弁公室
 
章 和 傑
     
 資料  国際シンポジウム  
 
 「東洋の伝統的環境思想の現代的意義」日程紹介
 

 
 あとがき  王 守 華    
 
 

本の紹介 38:環境土壌物理,2.耕地の土壌物理
ダニエル・ヒレル著/岩田進午・内嶋善兵衛監訳,農林統計協会
(2001) 4000円 ISBN4-541-02711-9

 
 
 本書は,「情報:農業と環境 No.11」で紹介した「環境土壌物理」の第2部の第10章から第17章である。翻訳者は,前半部と同様,粕淵辰昭(山形大学農学部),加藤英孝(農業環境技術研究所),高見晋一(近畿大学農学部),長谷川周一(北海道大学農学部,前農業環境技術研究所)である。なお,本書は第3部を持って完了する。以下に第2部の目次を示す。
 
第10章 土壌中への水の侵入
10.1  まえがき
10.2  浸潤容量または浸潤強度
10.3  浸潤過程中の土層内の水分分布
10.4  経験的な浸潤強度式
10.5  GreenとAmptの方式
10.6  基礎的な浸潤理論
10.7  成層土壌中への浸潤
10.8  クラストをもった土壌への浸潤
10.9  浸潤中の浸潤前線の不安定性
10.10 その他の選択流
10.11 降雨浸潤
10.12 これからの浸潤研究
  練習問題と解
 
第11章 土壌中における水分の再配分
11.1  まえがき
11.2  深くまで湿った土壌における内部排水
11.3  部分的に湿った土壌中での再配分
11.4  再配分におけるヒステリシス現象
11.5  再配分過程の解析
11.6  「圃場容水量」という概念
11.7  物理的根拠にもとづく水分貯留
  練習問題と解
 
第12章 溶質移動と土壌の塩分
12.1  まえがき
12.2  鉛直移流による溶質の輸送
12.3  溶質の拡散
12.4  流体力学的分散
12.5  混和置換と流出濃度曲線
12.6  移流・拡散・分散の組み合わせによる溶質輸送
12.7  水移動に対する溶質の影響
12.8  土壌の塩分とアルカリ分
12.9  土壌断面内の塩収支
12.10 過剰塩の溶脱
  練習問題と解
 
第13章 土壌中でのガス類の移動と交換
13.1  まえがき
13.2  土壌中での空気の対流による流れ
13.3  土壌中でのガス類の拡散
13.4  拡散過程の定式化
13.5  土壌中でのガスの対流と拡散の測定
13.6  温室効果ガスの土壌からの放出
  練習問題と解
 
第14章 土壌温度と熱の流れ
14.1  まえがき
14.2  エネルギーの伝わり方
14.3  裸地でのエネルギー収支
14.4  土壌中の熱伝導
14.5  土壌の体積比熱
14.6  土壌の熱伝導率と熱拡散率
14.7  熱と水分の同時輸送
14.8  土壌断面の温度状況
14.9  土壌の温度状態の改変
  練習問題と解
 
第15章 植物による土壌水分の吸収
15.1  まえがき
15.2  土壌−植物−大気連続体
15.3  植物−水関係の基本的な見方
15.4  植物体の細胞および組織と水分生理
15.5  根の構造と機能
15.6  根の透水特性
15.7  土壌−植物系における水ポテンシャルとフラックスの変化
15.8  根による吸水,土壌水の移動,および蒸散
15.9  土壌−植物−大気連続体の電気的類推
15.10 根による吸水の数学的モデル
15.11 単一根モデル
15.12 根系モデル
15.13 土壌水の吸収に対する根の生長の影響
  練習問題と解
 
第16章 灌漑と水利用効率
16.1  まえがき
16.2  植物に対する土壌水の有効性の古典的概念
16.3  灌漑管理の伝統的な原理
16.4  植物への土壌水の有効性のより新しい諸概念
16.5  灌漑管理の近代的な原理
16.6  高頻度灌漑の利点と限界
16.7  水利用効率と水保全
16.8  生産と蒸散との関係
16.9  作物の水要求度の推定
16.10 灌漑の進展と環境への影響
16.11 灌漑への廃水の利用
  練習問題と解
 
第17章 空間的変動性
17.1  まえがき
17.2  変動性の表現
17.3  標本数の推定
17.4   変動性の一つの指標としてのスケーリング
17.5  空間分析:相互関連する観測値
17.6  変動性を特徴づけるためのその他の手法
索引
 
 

本の紹介 39:国際食料需給と食料安全保障
農林水産文献解題 No.29,監修 是永東彦,農林統計協会
(2001) 2600円 ISBN4-541-02715-1

 
 
 食料・農業・農村基本法においては,食料の安定供給,食糧自給率の向上を重視し,食料政策を今後の政策展開の大きな柱に据えている。しかし,わが国は,多くの食料を国外からの輸入に頼っており,中期的には国際的な食糧需給のひっ迫の懸念から,国内生産力を高めるとともに,自給率の向上が強く望まれている。さらに,自給率を向上させることによって,国土も保全されるという,いわゆる農業の持つ多面的機能の活用が強く望まれている。
 
 本書では,食料問題と食料政策に関する多くの論文を整理して,世界的な食料需給と食料政策の現状や認識を明らかにすることが試みられている。以下に目次を紹介する。
 
第1部 序説
 
序章 食料需給と食料安保をめぐる課題と論点   (是永 東彦)
1.食料問題の多次元性
2.国際食料需給分析の問題
3.食料安保をめぐる問題
 
第1章 国際食料需給に関する計量研究の動向   (中川 光弘)
1.はじめに
2.世界モデルによる需給予測
3.世界モデルによらない需給予測
4.国際食料需給予測の展望
 
第2章 我が国の食料需給と食料安全保障
1.我が国における食料安全保障論の経緯
2.我が国の食料需給構造と食料自給率
3.食料危機対策
4.我が国の食料安全保障のあり方
 
第3章 世界食料・農業問題−人口爆発と食料危機 (小山 修)
1.人口爆発と地球の扶養力
2.資源の有限性と持続可能性
3.飢餓,食料危機と食料援助
4.地球環境問題と食料生産
5.現状分析と未来論
6.消費哲学と人類の共存
 
第4章 各国・地域の食料安保と食料貿易政策
1 北米                    (服部 信司)
1.食料安保についてのアメリカのスタンス
2.1996年農業法と以降の政策展開:輸出シェア維持のためのフル生産
3.食料貿易政策
4.貿易政策に間接的に関わる国内政策
5.国内食料保障政策:国内食料補助
 
2 EU                    (是永 東彦)
1.食料自立の達成−保護農政に支えられた農業発展
2.CAP改革を通じた輸出国型農政の追求
3.食料安全保障政策の課題
 
3 中国                    (白石 和良)
1.中国政府の食料安保思想
2.中国の食糧需給の現状
3.中国の食糧需給長期計画
4.WTO加盟後の食糧貿易政策
 
4 東南アジア                 (井上 荘太朗)
1.はじめに
2.食料需給を規定する自然と歴史
3.インドネシアの食料安全保障の動向と現状
4.タイの食料安全保障の現状と動向
5.おわりに
 
第5章 食料安全保障とWTO農業交渉の展望
1.はじめに
2.ガットUR農業交渉の経緯
3.WTO農業協定における食料安全保障
4.WTO農業交渉の展望
5.おわりに
 
結章 今後の食料問題の課題と展望
1.食料輸入大国日本の課題−食料・農業・農村基本法にもとづく挑戦
2.世界食料問題に関する国際認識と我が国の立場
 
第2部 文献解題
第3部 文献目録
第1編 図書・資料の部
第2編 雑誌記事の部
第3編 洋書の部
第4編 「国際食料需給と食料安全保障」関連ホームページアドレス
 
 

本の紹介 40:地球温暖化の日本への影響2001
環境省地球温暖化問題検討委員会

 
 
 「地球温暖化の日本への影響2001−進む温暖化,予防とともに今から適応策を−」が,環境省地球温暖化問題検討委員会の「影響評価ワーキンググループ」(座長:西岡秀三)によってまとめられた。本報告書で集約評価された研究から得られる主な結論は以下の通りである。原文のまま。
 
(1)気候変動がすでに日本列島に現れつつある。
 日本ではこの100年間に1℃の気温上昇がみられ,異常高温発生件数が増加している。この上昇は,ここ140年間で0.8℃であった地球の平均地上気温上昇を上回るものである。世界及び日本列島に対する温暖化は,最近の15年間で0.2℃/年と生態系の適応からみて危険とみられる早さで進行している。自然環境等への影響はすでに世界の随所にみられ(IPCC第三次評価報告書),日本でもオホーツク流氷の減少,植物開花時期のはやまり,動植物の生息域移動など幾つかの兆しが観測されている。
 
(2)気候変動とその影響は確実に進行し,30年後には危険なレベルに達し,その後加速する。
 IPCCによって予測されている今後100年の地球規模での気候変動は,気温でみて最大5.8℃上昇するとされているが,これは15,000年前おきた氷河期から現在の間氷期への上昇約5℃と比較しても極めて大きな変化である。また,数10億人の人類が歴史上初めて経験する温暖な時代であり,その変化速度は過去1000年のいかなる世紀と比べても最も著しい。IPCCはまた,数℃程度の上昇までだと利益を得る地域も一部はあるものの大半の人口は損害をうけ,それ以上になると全世界に被害が及ぶと判断している。
 
 日本列島の気候変化を予測するための地域気候モデルが開発されてきているが,境界条件に用いる全球気候モデル間の予測の違いのため,列島各地での気候変動予測を確実に行うまでには至っていない。
 
 それでも,列島全体での気候変動予測をIPCCの全球的予測をもとに行うと,現在の気候変化の傾向は,干ばつや豪雨など異常気象の頻度増加を伴いながら徐々に進行する。IPCCの全球平均の予測では,1990年頃に比べ,2030年〜40年には0.5〜1.5℃,2050年ごろには0.8〜2.6℃程度の地上気温の上昇となる。その後温暖化の進行はやや加速され,変化はそれまでよりさらに急速に進み,2100年にかけては1990年頃に比べ1.4〜5.8℃の上昇となる。日本付近の地上気温は世界平均より大き目の上昇が予測され,上昇量は,北ほど,かつ大陸に近い西ほど大きいと予測される。海面水位の上昇も世界平均(IPCC予測では100年間に9〜88p)より高めと予測され,海岸線・湾の形状や海流によって海水面上昇がさらに増幅される場所が生じる。
 
(3)こうした気候変動は,生態系,農業,社会基盤,人間健康などに多大な影響を与え,我々の生活形態を一変させるであろう。
 例えば:
・ハイマツ,オコジョ,ライチョウなどの高山生態系の分布域は縮小,ブナ林はミズナラ林に移行する。スギ造林地は競争樹種が増え管理がより困難となる。昆虫類の高緯度高山域への移動が見込まれ,病害虫被害の地域変動がみられる。草地の移動が顕著になり,50年後には亜寒帯植生が石狩低地以南から消滅,冷温帯植生も九州・四国・紀伊半島から消滅,九州には亜熱帯植生が出現する。山岳・小島嶼・小面積樹林での固有植物群落の消滅で遺伝子プール保存が困難になる。
 
・温暖化すると渇水が起きる可能性が高い。過去の例では水需要は3℃の温度上昇で1.2〜3.2%増加する。3℃の温度上昇は10%の降水量増加で相殺される可能性があるが,洪水は増加する。河川の融雪流出時期が早まり4〜6月の流量が減少する。河川水温上昇でオショロコマ,イワナ等冷水魚の分布域が縮小する。温暖化速度が生態系の追従速度を超えているため,種の置換も進まず多様性は低下する。
 
・海水面上昇により東北・北陸部などの低海岸地域で農業土壌の地下水上昇,塩類化が進行,気温上昇による土壌呼吸量増加により土壌有機物の無機化が早まり,土壌微生物相は単純化する。
コメは比較的高緯度地域では増産,低緯度地域では高温による生育障害がおこる。CO2による施肥効果は高温による不稔などで相殺され複合的にみると負の効果が予測される。コメの国際貿易量は生産量の5%程度にすぎず,日本や中国など一国での生産変動が国際市場での価格の変動を増加することがこれまでの例からの予測される。
大豆,小麦,トウモロコシなど輸入に頼る作物は,国内生産変動より,輸入先国の降水量変動影響を大きく受ける。アジア地域での食料必要量は2050年までに現在の2倍に達するため,ここでの食糧生産変動は地域の政治・経済に大きな影響を持つ。
気温上昇で降水量増がともなわなければ林業生産力は低下する。昆虫の越冬可能地域が北へ広がる。温暖化で世代交代が早まるが天敵増などもあり害虫被害状況については更なる研究が必要である。また,温暖化により雑草が繁茂し,季節的にC3植物からC4植物へ優占種が移る時期が早まる。
 
・海面水位の上昇により,東京湾等内湾の潮汐振幅が減少し海水交換が困難になり,汚染が進行する。65pの上昇で日本全国の砂浜海岸の8割以上が浸食される。我が国干潟の平均勾配は1/300であり,40pの海面上昇で沖だし120mの干潟が消滅し,生物の産卵・保育を困難にし,海洋浄化能力を減らし,渡り鳥の生態にも影響する。マングローブは50p/100年以下の上昇ならば維持可能,サンゴ礁は40p/100年が最大許容追従速度のため,海面水位の上昇速度がこれより大きいと危険な状況となる。海水温上昇により低緯度の海洋プランクトンが日本近海に出現する。海洋表層と底層の交換停滞により栄養塩供給が少なくなり,生物種の交代が起こる。オホーツク海ではアイスアルジーの減少で生産力が低下する。
 
・1mの海面上昇により,平均満潮位以下の土地は現在の861kuから2,339kuへ,そこに居住する人口は200万人から410万人へ,資産は54兆円から109兆円に増大する。現在と同じ安全性を確保するためには,2.8〜3.5mの堤防嵩上げなど11兆円の対策費用が必要となる。
 
・夏の温度が1℃上昇すると,夏物商品売上が5%上昇する。夏期電力需要の40%を占める冷房需要は1℃上昇で500万kw増加し,暖房需要減少とあわせて電力の地域的な需給変動をもたらす。水力や冷却水温度上昇などによる発電能力への影響,雷雲発生増加により送電系への影響もある。スキーや自然環境資源依存のレジャー産業への影響も大きい。
 
・肺炎の罹患率は夏期の日最高気温の上昇につれて顕著に増加する。また高齢者は気温の変化に敏感である。北上するコガタハマダラカによるマラリア,ネッタイシマカによるデング熱など,媒介動物感染症の増加が予想される。
 
(4)以上は個別対象への影響である。社会全体にはこれらの例で代表される現象が相互に影響しあい,相乗効果でボディーブロー的影響を経済や生活に与えることになる。なお,洪水や干ばつなどの極端な現象によって生じる影響研究はほとんど未着手である。
 
(5)予期せぬ突発的な事象の生起を否定できない。
 IPCCは,南極西氷床の崩壊や海流の熱塩循環停止のような大規模な変化はこの100年間には起こらない,と予測している。しかし,生態系の変化に伴う正のフィードバックや,害虫の異常発生などについては未解明である。本報告は,これらについての評価は行っていない。
 
(6)排出抑制策は温暖化傾向を遅らせはするが,止められない。
 京都議定書による温室効果ガス削減が成功すれば,温暖化進行のタイミングを約10年遅らせることができるとみられる。しかし,温室効果ガス抑制策によって温暖化傾向を止めることは困難である。気候システムが持つ大きな慣性からみても,温暖化傾向は当面止まることなく確実に進行する。
 
(7)国土の持続的保全にむけた長期的な適応策への考慮を,各分野対応長期計画と行政施策に今から折り込まねばならない。
 日本列島への影響に対して我々は,ここ10年の間は平均的な気候の変化に徐々に対応していきながら,極端な現象から生じる幾つかの影響を念頭に,早期に対応を検討せねばならない。さしあたり降水量や温度の極値的変化,特に全体的な小雨傾向と局地・局時的な集中豪雨への対応を強化する必要がある。また,当面対応が必要とされるのは,畜産および農業(例:農作業暦をずらせたり,品種の転換を行う)である。水需要と降水・水文変化に対応して,治水・利水への影響対応も早期に準備されるべきである。気候変動は生態系全体に大きなストレスを与える。自然生態系への影響を押し止めるのは困難であるが,高山帯・干潟・湿地・マングローブ・珊瑚礁など貴重で変動に脆弱な対象を中心に,可能な限りの対応をしなければならない。耐用期間が30年以上にも及ぶ,エネルギー・都市・海岸のインフラストラクチャー整備においては,設備投資計画,土地利用・港湾・都市計画に適応策を今から織り込むと同時に設備更新にあわせて追加的に比較的コストが安く済む投資を進めておく必要がある。媒介動物の北上に対応した防疫体制強化も重要である。
 
 温暖化影響への対応は,国土自然環境保全・気象災害防止・農林水産生産基盤確保,自然エネルギー利用など全ての行政対策と関連するので,それぞれが担当する長期計画に適応策は確実に反映されるべきである。その際,温暖化への対応がもともと持続可能な発展の一環であることを踏まえ,適応策は森林保全や自然環境の保全に十分配慮したものでなくてはならない。
 
(8)安全保障の観点からの国際的対応が必要である。
 国土面積が少なく,資源を外国に依存する比率の大きい我が国にとっては,日本列島への影響もさることながら,海外資源貿易,特に食糧の供給不安に対する安全保障が重要である。気候変動のもとでの食糧需給は,全世界・長期的にはバランスするものの,変動により地域格差が拡大するため,貿易構造や価格の変動が生じるとみられる。アジアにおける地域内の相互依存の高まりによって一国の異常が他の地域に波及しやすい状況にある。アジア諸国への適応策強化への援助が必要である。IPCC報告などで示された世界的影響を踏まえ,世界貿易の枠組みの中での長期的安全保障策を練っておかねばならない。
 
(9)気候変動に対処するため,影響監視体制,定期的評価・適応策研究の全国的システム構築が必要である。
 日本列島に対する影響研究は,個別事象についてはかなりの集積がなされてきた。しかしながら,統一シナリオのもとで各担当省庁が分担して体系的に影響評価をした米国ナショナルアセスメント程のまとまりを持ったものになっていない。また,影響の早期警戒のための検出システム,影響への適応策とその評価方法(特に社会・経済的評価)の研究は不十分である。影響はそれぞれの地域で異なった現れ方をし,そこでの住民がそれぞれの地域でそれぞれに変化に対応することになる。今後は国民的議論のもとで,住民・NGO・地方自治体を主体にした参加型影響検出,脆弱性評価と適応策検討を行う必要がある。
 
(10)「予備原則」のもとで,さしあたり「公開せずにすむ政策」から進めるべきである。
 気候変動への対処は,まず予防即ち温室効果ガス削減であることは間違いない。なぜならば,一旦温暖化が進行すれば,その影響を相殺する適応策には大きな費用がかかり,かつ影響は世界でも日本でも一番脆弱な途上国や分野からはじまり,貧富の格差を拡大し公平性にもとるからである。しかし,いま最大の努力を払ってもある程度の温暖化の進行は防ぎえず,適応策を積極的に進めるべき時である。
 
 気候変動に対する脆弱性評価手法は,まだ個々の地域への影響を正確に予測するまでには至っていない。また,地球規模気候変動予測からはじまり,地域気候予測,部門別影響予測と統一的に進める評価システムの確立は当面は困難であろう。しかし全体としてどこかで何かの大きな変動が起こることは確実であり,しかもその影響は深刻で不可逆である。このような場合,科学的不確実性があることをもって何もしないことの理由としてはならない。少々のコスト増は覚悟してでも,「予防原則」に基づきリスク回避の手段をただちに打たねばならない。
 
 災害防止の社会基盤整備であらたな投資をする際には,わずかな投資増で適応対策が可能である。またその増分投資は温暖化に対応するだけでなく,本来の災害防止をより強化するものでもある。このような「後悔せずにすむ政策」をいますぐ採用するべき時期にきている。
 さらに,一部突発的な変動がありうるものの温暖化の進行が漸進的であることを踏まえて,「逐次的政策決定過程」のもとに,変化を検出し,評価予測を修正しながら常に政策にフィードバックしていく経常的メカニズムと措置を,中央および地方の行政機構の中に組み込むべきであろう。
 
 3章「農林水産業への影響」の概要を以下にまとめた。なお,この章のコア執筆者の林陽生,共同執筆者の谷山一郎,山村光司および横沢正幸は,当研究所に所属している。また,1章「気候(過去の気候変動の解析及び気候変化の予測)」の共同執筆者の西森基貴も,当研究所の所属である。
 
土壌環境への影響
 温暖化に伴って,海面上昇や温度・湿度条件の変化などが,農地の土壌環境にさまざまな影響を及ぼすだろう。現在,わが国の861平方キロの国土が満潮位以下にあり,約200万人が住んでいる。もし海面が1m上昇すると,満潮位以下の土地面積は約2.7培に拡大し,410万人に影響が及ぶと考えられている。農地の水没や地下水上昇・塩類化が水稲を中心とした農作物生産に及ぼす影響は,農地の標高分布および養水分の保持や供給力に関係する土壌条件の違いによって複雑に異なると考えられ,比較的低位の地帯に農地が分布し,かつ保水性と供給力に富む水田土壌が卓越している東北および北陸地方において大きな影響が現れると推定される。
 
 また,気温上昇によって土壌呼吸量が増加するため,土壌有機物が無機化する速度が速まるものと推定される。特に高緯度地域では分解速度が促進され,その影響は水田土壌で大きいと考えられる。同時に,土壌微生物相への影響も及ぶだろう。すなわち,高温域での生存性に優れた菌群による相対的優占が起こり,土壌微生物相は単純化することが指摘されている。土壌侵食の形態も変化すると考えられ,雨量強度が増大することにより土壌侵食量は加速度的に増すことが示されている。
 
水稲栽培への影響
 世界的にみると,コメは地球上の全人口が消費する熱量の約20%を供給する穀物である。コメを主食とする人口増加のため,2025年までに生産量を46%増やす必要があるとの予測がある。モンスーン・アジア諸国では,豊富な降水量と灌漑設備が整っている条件を背景として,比較的安定した生産量を維持している。しかし,世界の稲作の3分の1を占める天水田や陸稲栽培では,生産量は年々の気候の影響を非常に強く受けている。
 
 日本のコメは,約200万ヘクタールの水田で約1000万トン生産されている。一般に温暖化により,比較的高緯度地域では生産量の増加が,低緯度地域では高温による生育障害が起こるだろう。また現在と同程度の収量を維持するためには,東北・北海道地方で栽培期間を早める一方,これ以外の地方では栽培期間を遅くする必要が生じるだろう。
 
 最近では,CO2の濃度上昇の効果を評価する研究が進み,CO2濃度が倍増すると到穂日数が約5%短縮すること,乾物重や収量が約25%増加することが明らかになった。しかし,高温による不稔の発生が高CO2濃度条件下で増加するなど,複合的にみると負の効果が予測されるため,緊急に明らかにすべき点が多い。これらの研究は,圃場試験などの実験的方法や作物生長モデルを用いた方法で精力的に研究が進んでいる。そのなかで,全国的にコメ生産量を維持するためには,高温耐性品種の開発などが有効であることが指摘されている。
 
水稲以外の作物栽培への影響
 コムギ,オオムギ,ダイズ,トウモロコシの国内生産量は,それぞれ約58万トン,20万トン,19万トン,18万トンである。一方,輸入量は,麦類については国内生産量の7培〜10倍,ダイズは約25倍,トウモロコシに至っては約90倍である。温暖化などによる輸入相手国の生産量変動がわが国の食料事情に間接的に影響する状況は,日本の食料安全保障に対する重大な懸念要素といえよう。
 
 高温条件でコムギを栽培した場合,出穂時期が早まる。冬コムギの場合には,出穂の早期化によって登熟期が春先の気温変動が激しい時期になるため,低温に遭遇する危険性が増すと考えられる。このことは,気温上昇のみならず低温発生率の変動といった観点で影響予測を行う重要性を意味している。ダイズについては,根圏の地温が上昇すると生育が抑制される可能性が,トウモロコシについては,出穂期に35度以上の高温に遭遇すると不稔障害が生じる危険性が認められている。
 
 CO2の上昇はこれらの作物の乾物重を増大させるだろう。一般に畑作物への影響予測には,降水量や土壌水分量の要素に関して気候変化シナリオの精度を向上させる点が望まれる。水稲栽培については,気温上昇とCO2濃度上昇との複合的効果の研究に着手されているが,ムギ類,ダイズ,トウモロコシに関しては未着手の部分が多い。
 
害虫への影響
 主に冬季の気温が上昇することにより,昆虫の越冬可能地域が北へ広がり,昆虫分布が北上すると予想されている。しかし害虫の分布の変化は薬剤による防除の影響を強く受けるため,必ずしも気温上昇を反映しない場合もある。また,一般に昆虫は複雑な食物連鎖の中に位置しており,その発生量は競争種や天敵などとの相互作用の結果に支配されている。従って的確に予測するためには,温暖化がこれらの生物間相互作用に与える影響を考慮する必要があるだろう。
 
 例えば,イネの主要な害虫であるメイガなどの世代交代数とこれらの天敵昆虫類の世代交代数を比較すると,クモ以外の天敵類の世代交代数が相対的に多くなる点が指摘されている。従って,水田昆虫群集については,温暖化による害虫の個体数の増加と天敵の個体数の増加との関係を定量的に明らかにする必要があるだろう。
 
雑草への影響
 わが国の雑草種は総数で78科417種といわれる。雑草が自然植生と異なる点は,気温やCO2濃度に対する生理生態的応答性の違いと同時に,作物栽培の時期や水田や畑といった栽培法の違いによって大きな制約を受ける点である。温度変化の影響のほか,最近では高CO2濃度条件での影響の解明が行われるに至っているが,まだ研究例は少ない。
 
 一般にC4植物は熱帯に起源をもち,高温乾燥条件でC3植物より活発な生長を示す。わが国のような温暖地帯では,両者のバイオマスに季節的な交代が現れる。最近の研究によると,つくば市周辺では積算温度1450dayでC3植物からC4植物へ優占種が移ることが明らかになった。温暖化により2℃気温が上昇すると,C4種へ交代する時期は全国的に2〜3週間早まることなどが示されている。
 
林業への影響
 わが国は世界でも有数の人工林率を達成している。しかし,国内の木材需要量をまかなうほどの生産量は得られていない。このため現在では,輸入材への依存率は80%に達している。このことは,気候変動がわが国の林業に及ぼす影響を考える際には,アメリカ,カナダ,ロシアのほか東南アジア諸国など輸入相手国の森林への影響を考慮せずに成り立たないことを意味している。
 
 従来わが国では,スギ,ヒノキ,マツが主要造林樹種であったが,最近では変わりつつある。これら樹林の生産力の指標として温量指数が用いられる。温暖化時の環境条件として,もし降水量が一定で気温のみ上昇すれば水分条件が悪化するため,同一の温量指数でも生産力は低下するだろう。この効果は,平均伐採期齢の延長とそれに合わせた森林計画の策定,苗木生産計画の変更などを求めることになる。同時に,法律によって規定されている苗木の配布区域や指定母樹の変更,育種区の見直しなども必要になると考えられる。
 
食料安全保障への影響
 わが国では,高度成長のあと食生活の欧風化が進み,国内農業生産の収益性が相対的に低下するにつれて,食料の海外からの輸入が急増し,カロリー換算の食料自給率は約40%に,穀物では重量ベースで約30%までに低下している。この点で,わが国の食料安全保障は構造的に脆弱といえる。
 
 国内で生産される主要な穀物のコメは,完備した灌漑設備のため気象条件の変化に対して比較的強いだろう。また,コメ以外の国内における主要農作物である野菜・果実類は,施設園芸化が進んでいるため,安定的生産を脅かすまでの恒常的な悪影響を予測することはできない。これらの点から,わが国において将来に食料安全保障が脅かされるとすれば,温暖化による病害虫の発生,冷害を引き起こすような異常気象の頻発などである。これに対して,海外からの輸入に頼っているコムギやダイズおよびトウモロコシなどの飼料作物は,生産国における降水量の変動の影響を直接受けるだろう。
 
 わが国を含むアジア地域では,2050年までに食料供給必要量は現在の2倍に達することが指摘されている。海面上昇などの影響も考慮すると,大きな人口を抱えるアジア諸国で大規模な食料不安が生じた場合は,わが国への政治的・社会的影響が十分予想される。
 
 目次は以下の通りである。
1章 「気候(過去の気候変化の)解析及び気候変化の予測」
 1.1 はじめに
 1.2 気候変動の実態
 1.3 気候変化の予測
 1.4 今後の課題
 
2章 「陸上生態系への影響」
 2.1 はじめに
 2.2 高山帯生態系への影響
 2.3 森林生態系への影響
 2.4 自然草原への影響
 2.5 湿原への影響
 2.6 生物多様性への影響
 2.7 影響予測モデル
 
3章 「農林水産業への影響」
 3.1 はじめに
 3.2 土壌環境への影響
 3.3 水稲栽培への影響
 3.4 水稲以外の作物栽培への影響
 3.5 害虫への影響
 3.6 雑草への影響
 3.7 林業への影響
 3.8 食糧安全保障への影響
 
4章 「水文・水資源と水環境への影響」
 4.1 水文・水資源への影響の表れ方
 4.2 気候変化が河川流量に与える影響
 4.3 日本の水資源への影響と管理
 4.4 地球温暖化の水温,水質に与える影響
 4.5 淡水生態系に与える影響
 
5章 「海洋環境への影響」
 5.1 はじめに
 5.2 物理的影響
 5.3 生態系への影響
 5.4 沿岸海域への影響
 5.5 海洋汚染への影響
 
6章 「社会基盤施設と社会経済への影響」
 6.1 社会・経済システムへの影響の特性
 6.2 沿岸域への影響
 6.3 都市・インフラ施設への影響
 6.4 沿岸域とインフラ施設に対する影響の経済評価
 6.5 産業・エネルギーへの影響
 6.6 アジア・太平洋地域における沿岸域と都市居住に対する温暖化の影響
 
7章 「健康への影響」
 7.1 はじめに
 7.2 健康への影響とそのメカニズム
 7.3 健康影響の程度
 7.4 健康影響への対策の可能性
 7.5 健康リスクの予測
 7.6 情報システム
 7.7 今後の課題と提言
 
8章 「影響の経済評価」
 8.1 はじめに
 8.2 気候変動による損害費用
 8.3 温室効果ガスの削減費用
 8.4 持続可能な発展と衡平性
 
9章 「温暖化影響の検出と監視」
 9.1 温暖化影響検出の方法論
 9.2 生物季節による温暖化影響検出
 9.3 生物季節指標の項目別,地域別代表性
 9.4 貴重な生態系の変化
 
10章 「適応,脆弱性評価」
 10.1 適応の考え方
 10.2 各分野における適応策とその評価
 10.3 都市における適応策
 10.4 脆弱性の評価
 10.5 今後の課題
 
 

本の紹介 41:環境と文明の世界史
−人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ−
石 弘之・安田喜憲・湯浅赳男著,洋泉社
(2001) 720円 ISBN4-89691-536-4

 
 
 この本は,環境学・環境考古学・比較文明史学の論客が,環境史の視点から人類の滅亡回避の可能性を論じた書物である。「はじめに」の一部を以下に抜粋する。
 
 「なぜ今,環境史に関心が集まっているのであろうか。人類史を環境の側から眺めると,それは人類の無知,無思慮,貧欲によって蹂躙され,収奪されてきた暴虐の歴史である。人類は,飢え,外敵,病気,過酷な気候,重労働から逃れるために,地表を半永久的に改変して食糧を生産し,都市を作り,人口を増やし,資源を大量に消費してきた。これが地球本来の生態系や物質循環のシステムを大きくゆがめ,深刻な環境の破壊や悪化を招いてきた。」
 
 「こうした行為はすべて「人類の生存」という理由で正当化され,「人類の発展」と思い込んできた。だが,地球の許容限界を無視して拡大してきた人類のツケが,今日の地球環境問題となって跳ね返ってきたのだ。こうした環境史への関心の高まりは,問題解決の糸口さえ見えてこない閉塞感なしには説明がつかないだろう。地球環境問題の出口を求めて,歴史に回答を求め始めたのである。イースター島も地球も資源は有限である。島民が破壊し尽くした島から逃げれなかったのと同様,人類も地球から逃げれる術はない。今こそ,イースター島のたどってきた運命を真剣に学び自覚しなければならない。」 目次は以下の通りである。
 
序   今なぜ環境史を学ぶ必要があるか?
    マルクス主義史観に押し潰されてきた環境史研究
    歴史認識を逆転させた画期的な年代測定法の発見
第1部 現代型新人の誕生から古代文明の崩壊まで
    ネアンデルタール人とマンモスはなぜ絶滅したのか?
    北アメリカの巨大氷河湖≠フ崩壊と農耕の始まり
    火の使用・保存が人類に自然破壊の手段を与えてしまった
    古代四大文明史観を覆す長江文明の発見
    巨大な建物をもった三内丸山遺跡は都市文明か?
    地球寒冷化と古代文明を滅ぼした二大民族の登場
    気候変動がもたらした釈迦とキリストの出現
第2部 グレコ・ローマ文明の誕生から中世ペストの大流行まで
    たった500ミリの雨から生まれたグレコ・ローマ文明
    金属汚染と引き換えに手にしたローマ帝国の栄光
    ゲルマンの森を農耕・牧畜地に変えた修道院の破壊行為
    ローマ帝国衰亡の原因をつくったキリスト教の拡大
    イスラム世界へ輸出された白人奴隷の歴史
    世界文明の新分類法=「動物文明」と「植物文明」
    中世ペストの大流行は森林破壊と動物殺戮の戦い
第3部 ヨーロッパ世界の拡大から「欲望全開」の世紀まで
    イスラムの圧力に押し出された「大航海時代」の幕開け
    ヨーロッパ人の植民地経営法は遊牧民の発想
    ウイルスと自然破壊で手に入れた新大陸の世界
    肉好きの民族が行き着いたアメリカ型文明
    亜熱帯モンスーン地域の「コメと魚の文明」が人類を救う
    虫まで真っ黒になった産業革命の功罪
    なぜアジアで産業革命が起こらなかったか?
    殺人兵器=毒ガスが人口爆発する不思議
    人類の欲望が地球環境に敗北する時代がやってきた
結び  環境史から人類の未来を問う
    人類の破局を食い止める「環境革命」は可能か?
 
 

本の紹介 42:地球白書2001−02
レスター・ブラウン編著,家の光協会
(2001) 2600円 ISBN4-259-54592-2

 
 
 年次刊行物の「地球白書」の創刊号は1984年に出版された。それから16年。この間,ワールドウオッチ研究所のレスター・ブラウン所長は,一貫して地球環境の変動を「地球白書」に掲載してきた。ブラウン氏は,1974年に自ら創設したこの研究所の所長から,昨年は理事長に就任した。この研究所は第二世代に入った。所長は,長年にわたり副所長を務めてきたクリストファー・フレイビン氏である。
 
 「20世紀は火と機械の世紀だったけれども,21世紀は水と生命の世紀になる」と言ったのは,中村桂子氏であるが,これは多くのひとびとに共通した思いである。本書もまた,水問題に多くのページをさいている。第2章「しのびよる地下水汚染を防ぐ」に記されているように,世界全体で15億から20億人が地下水を飲用の水源にしているにもかかわらず,その危機的状況に対する認識は低い。また,化学肥料や農薬が地下水汚染ときわめて密接に関連していることが強調される。
 
 第4章「衰退する両生類からの警告」では,両生類の急激な衰退の報告例が紹介される。このことは,生物界の多様性を失うということだけでなく,もっと現実的な損失にもつながることが指摘される。目次は,以下の通りである。
 
第1章  豊かさを貧困の解消に役立てる
      貧困と環境
      二極化していく反映と貧困の世界
      依然として増大する環境負荷
      さまざまな局面で変革の兆し
      北と南の統合
第2章  しのび寄る地下水汚染を防ぐ
      21世紀に氷期の水を飲む
      過小評価されている地下水の価値
      隠された危機を追跡する
      しのび寄る窒素の脅威
      過剰に使用された場合の農業汚染の可能性
      揮発性有機化合物の浸透
      自然汚染物質の脅威
      急がれる抜本的な対策
第3章  飢餓の根絶をめざして
      打ち砕かれた食料楽観論
      飢餓レポート;現状と展望
      穀作地の生産性を向上させる
      水の生産性を向上させる
      タンパク質経済の再構築
      飢餓の根絶に向けて;その鍵となるステップ
第4章  衰退する両生類からの警告
      あるカエルの発見と消失
      いま,なぜ両生類なのか?
      衰退の向こう側にある問題
      解明に必要な新たな方法論
      両生類の保護への動き
第5章  水素エネルギー経済への挑戦
      炭素排出係数の動向
      気候への影響
      固体から液体へ
      エネルギー消費原単位の低減
      化石燃料からの脱却
      水素の時代への突入
      脱炭素化への取り組み
第6章  持続可能な交通手段を選択する
      交通システムが都市形態を決定する
      そりからジェット機へ
      今日の交通動向
      モビリティ追求の社会的費用
      大気を浄化する
      選択肢を多様化する
      改革への障害
第7章  自然災害の大規模化を回避する
       急増する不自然な災害
      災害を算定する
      脆弱さの人的要因
      脆弱さの社会的要因
      災害の政治と心理
      自然と地域社会の回復力を育てる
第8章  途上国を重債務から解放する
      対外債務が貧しい人々を苦しめている
      危機をもたらした費用
      ヨベル(Jubilee)の年
      債務の歴史
      公的債務危機の根元
      現実に合わせる
      貸し出し,開発,そして責任
第9章  国際環境犯罪を取り締まる
      取り締まりの現状
      条約の状況
      危機に瀕する生物種
      廃棄物の不法投棄を厳重に取り締まる
      大気の襲撃
      言葉から行動へ
第10章 持続可能な社会へのシフトを加速する
      危機的時代
      変化の構造
      変革に向かう基盤の強化:市民社会の役割
      ビジネスのグリーン化:企業の役割
      連携の形成と強化:政府の役割
      文化的変革を加速する
 
 

本の紹介 43:環境の人類誌
岩波講座 文化人類学第2巻,福井勝義編著,岩波書店
(1997) 3200円 ISBN4-00010742-9

 
 
 環境科学がこれほど重要視されるようになったのは,ごく最近である。公害が大きな問題となった時代においては,環境科学は公害問題を研究する学問とさえ定義されることがあった(産業公害同友会,1977)。しかし,環境科学が局所的な公害問題から地球環境問題まで,広範な課題を取り扱うようになった今日においては,人間と環境の関連を研究する学問分野として,自然環境だけではなく,社会環境を包含した総合的な調査・分析を必要とするようになった。このため,自然科学系の研究者であっても,人文社会学者の環境問題に対するアプローチを理解しなければ,環境問題の本質を捉えることができないと思われる。
 
 この本は9名の人文社会学者がさまざまな視点から環境問題を調査・分析した書であり,自然科学系の研究者が環境問題を俯瞰的に捉えるのに役立つ。また,わが国の農業の問題を市場経済の視点から解決しようしている農学者が,生業経済の視点からみつめ直し,農の営みの本質を理解するためにも役立つ(農業と農の営みの関係については,情報「農業と環境」11,pp.13を参照)。
 
目 次  
序 新たな人間・環境学への視点・・・・・・・・・・
福井勝義
1部 人間は環境をどのように把握するのか  
 1.思想がはぐくまれる環境認識・・・・・・・・・
渡邊欣雄
 2.都市化にともなう環境認識の変遷・・・・・・・
嘉田由紀子
第2部 環境と人間の相互関係  
 3.風土の三角形・・・・・・・・・・・・・・・・
堀 信行
 4.環境の持続的利用のイデオロギー・・・・・・・
寺嶋秀明
 5.環境をめぐる生業経済と市場経済・・・・・・・
市川光雄
第3部 環境危機のコスモロジーとリアリティー  
 6.共有資源をめぐる相克と打開・・・・・・・・・
秋道智彌
 7.環境の「近代化」と先住民族の生存・・・・・・
葛野浩昭
 8.環境と開発を読む・・・・・・・・・・・・・・
斎藤尚文
 
序 新たな人間・環境学への視点(執筆;福井勝義)
 筆者は,環境の概念を次のように定義している。環境とは主体の存在にかかわるさまざまな種類の外的要素の総体である。主体を人間とすれば,外的要素の総体は物理的環境,化学的環境,生物的環境,文化的環境及び社会的環境にわけられる。ここでは人間社会を主体として人文社会科学者が環境について,どのようなアプローチが可能であるかを考察している。文化人類学にとって重要な課題は,具体的データをもとに隣接分野の科学,とりわけ自然科学系との融合をはかることによって,環境問題のような総合的課題にどのようにアプローチしていくことができるか,ということである。ところが,これまでの自然科学系の研究者は人為的な自然環境それ自体には,あまり関心をはらってこなかった。しかし,人間社会を主体とする環境を扱う際には,このことを今や避けて通ることができない。このため,これまでほとんどこころみられなかった自然科学系と人文社会科学系を融合した,総合的かつ実体的な調査研究を今後,行わなければならない。このような総合的研究成果を蓄積することによって,自然環境の持続的利用が単なるスローガンに終わるのでなく,日常の人と自然のかかわり方を政策に反映させることが可能になると考える。
 
第1部 人間は環境をどのように把握するのか
 1.思想がはぐくまれる環境認識(執筆者;渡邊欣雄)
 
 ヨーロッパではギリシャ哲学の時代から「自然」と「人為」についての概念上の区別が伝統的に引継がれ,「文化」についての概念が長い時間をかけて洗練化・抽象化され,今日では「自然」についての概念とは明確に区別,あるいは対峙しうるものとして認識されるようになった。英語の「ネイチャー」は人為によらぬありのままの客体であるが,あくまでも主体たる人間の精神活動とは対立する概念として洗練されていった。これに対して,漢語でいう「自然」とは,人為の加わらぬ客体と一体となった精神であり,主体の精神は客体側にある自然活動を十分に関知することができ,またせねばならぬものであった。東洋の自然観は時間的経過にともなって自然と精神活動の概念,すなわち,対となる概念(以降,対概念と呼ぶ)が変化しうるし,意味もまた状況に応じて変化しているため,「自然」や「文化」の概念はあいまいであり,境界線がない。日本では「自然と一体となる」という表現が用いられるように,東洋では「自然」と「人為」は〈気〉を媒介にして「一体化」(一元化)しうる。したがって,欧米では両者の関係が二元論であるのに対して,東洋では一元論で思考している。
 
 第二に東洋の環境思想で重要なのは,欧米の自然と文化の対概念よりも両者をつなげようとする概念,すなわち〈調和〉と〈均衡〉であった。例えば,盆栽は日本や中国では「自然」と「文化」間の均衡と調和を表現したものとして捉えるが,欧米の人類社会学者は不自然な自然,あるいは文化的自然とみる。しかし,グローバルな環境問題そのものの再認識に当たっては,文化そのものではなく,また,自然そのものでもない。両者の関係や自然に対する人類の情緒・感覚の理解が必要である。
 
 以上のように,現代の欧米では,文化科学と自然科学は厳格な二元論的に区別されたものとして理解されてきた。しかし,その概念に限界のあることが認識され,東洋の環境思想における自然と文化に対する概念が,人間と自然との共生,あるいは文化と自然の調和を意図する新しい模範として注目されるようになった。なかでも,日本はヨーロッパとは極めて異質な自然観や環境観をもつ代表であったが,急速な経済発展を遂げた今日においては,欧米の二分法的概念が支配的になりつつある。
 
第1部 人間は環境をどのように把握するのか
 2.都市化にともなう環境認識の変遷(執筆者;嘉田由紀子)
 筆者は人の文化によって規定された周囲の物事を「環境」と定義し,「環境」とは主体との関係性において成立する概念としている。人の文化は,環境のあり方に大きく影響すると同時に,人の文化も環境によって,大きく規定されてきた。このため,人と環境のかかわりは,両者の相互作用であり,文化的共進化といえる。筆者は人の衣食住の確保,精神的安寧の確保など,いかに周囲の環境に働きかけて,生活を成り立たせるかという課題,これを本源的な意味での「環境」問題と呼んでいる。したがって,広義の「環境」問題は日常生活の中に実践的かつ習慣的に埋め込まれ,しかも身体感覚と深く結びついている。これに対して,近代工業文明の進展によって,大気,水,土壌などの汚染問題が社会問題化され,そこに人口増加や資源不足の問題が加わった「環境問題」は,今や人類の生存に危機をもたらしていると認識されている。前者の「環境」問題は人類学,地理学,哲学の分野とされ,後者は主に自然科学系の分野からのアプローチとされている。しかし,今日までのところ人類の本源的「環境」問題と社会問題化されている狭義の「環境問題」との関わりを追求した研究は少ない。
 
 筆者は,1980年代初頭から社会問題化した琵琶湖の水汚染という「環境問題」は,歴史的・文化的な根を持ち,しかも日常の生活現場から抽出され,社会化され,ある場合にはイデオローグ化されてきたプロセスであること,すなわち「環境問題」は「環境」問題から抽出される社会過程であることを指摘した。同時に社会問題化された「環境問題」を,どのようにして日常的な生活世界,すなわち,日常の生活文化と生活意識の中に埋め戻してゆくかと言う文化論的アプローチをとった。このことによって,「環境問題」を特殊な世界に閉じこめずに,より実践的に「環境問題」を解決しようとしている。
 琵琶湖の小さな桟橋における朝の風景写真には,主婦たちが湖水を汲み,米をとぎ,近くでは子供や男たちが歯を磨き,顔を洗っている。関係者からの聞き取り調査によると,朝食後はその桟橋で鍋を洗い,洗濯もした。魚は洗い物の残飯や,おむつのウンコもよく食べたという。さらに,昭和30年から40年代初頭にかけての琵琶湖周辺の12枚の風景写真と,それらの写真と同一の場所を1994年から1996年にかけて再訪し,景観の変化を比較した。この間,湖畔にあった畑地は住宅,工場,レジャーの場に変貌し,棚田は圃場が整備され,休日に田植機で田植する作業風景に変わった。これらの写真の中に,対岸の町のし尿を運ぶ船から下船しようとしている少女の写真がある。当時の少女から聞き取り調査したところ,し尿を汲んだ町の家の人からはお菓子をもらい,し尿を配達した農家からは米や野菜をもらったことが楽しい思い出であったという。また,コエをつぎ込む船をつなぐ場所は子供達の格好の魚取り場でもあり,取った魚は食べた。
 
 しかし,その後,上・下水道の整備が進み,水域から陸域への生活環境の変化は,自然,生物,汚さに対する認識が変貌し,今日の魚取りの場はキケン,キタナイ,キモチワルイとして子供達の遊びの場から排除・疎外された。また,捕まえた魚を食べることも少なくなった。このように,当時,生態系という自然は自分たちの等身大の場所であったが,今日では自分の生活のかかわりの中から「なぜ多様性であるか」という発想が忘れられ,人間の存在から切り離して,自然を保護するといったイデオロギー「自然保護主義」を生んだ。
 
 このような,人と環境のかかわりあいの変化から,今日における狭義の「環境問題」は技術論的には物質の濃度としてのみ理解される傾向にあり,この濃度が環境基準値として価値判断されるようになった。しかし,環境基準は何も基準がないことによる無秩序を解消するために,社会的に最低基準として合意できる価値として便宜的に設定したものである。すなわち,「環境汚染」あるいは「よごれ」という概念は,技術的には特定の汚染物質の濃度として表現できるが,認識論的には,極めて多様な意味を含んだものである。
 
 以上のことから,人間の存在から切り離して,自然を保護するという「自然保護主義」や近代技術で環境問題は解決するんだという「近代科学主義」をとるのではなく,「地域で生活する生活者の立場に立った,生活者の視点からの環境問題を深く見つめ,地域独自の解答を模索する「生活環境主義」が必要であると述べている。
 
第2部 環境と人間の相互関係
 3.風土の三角形(堀 信行)
 現在の人間は地球の将来に暗い展望を抱いている。地球温暖化など地球規模の環境問題が描き出す地球環境のシナリオは,人類の未来を脅かすのに充分な内容を持っている。かって,われわれが信じていた地球には人類が生活する場が無限に用意され,地球が内蔵している悠久の再生装置は,人類に無限の資源を提供してくれると考えられていた。
 
 しかし,この確信がいま揺らぎ,人類の共同幻想であったことを思い知らされ,地球の将来に陰りが見えてきた。世界中に未来のない閉塞感が漂い,まさしく,人類に立ちはだかる問題が地球規模となった。それ故に地球環境問題がわれわれに突きつけている内容は,これまでの「環境と人間の関係史」を支えてきたあまりにも人間中心主義的な考え方に反省を迫っている。そして,人類だけで地球上の生物が成り立っているのではなく,人類は相互補完的に多様な生態学的環境の中ではぐくまれていることを教えられた。
 
 ある生業システムをもった人間(集団)が,ある「場所」を得て生活の世界が展開するためには,さまざまなことが絡み合っている。このことを筆者はアフリカの乾燥地域における農耕と牧畜の営みを調査し,「生態と文化の共生」という立場から,それらの関係を図に示した(図,参照)。
 
<< 図:gifファイル:85KB >>
 
 この図の自然生態系複合系は,土地の生態的条件,空間的な移動,気象や季節条件への依存度の三次元軸で構成される。社会文化複合系においては,技術の展開,人間集団の編成原理,社会・経済条件の三次元軸で表す。これらの系において生業が成り立つ複合点A,Bがある。A,Bを結んだ共生軸そのものは,環境変化とともに固有の反応を示しながら,これまで揺らいできた。そして,この共生軸自体が,場所性をはぐくむ民族集団が共有する世界観を構成するもう一つの複合系の中の交点と結びついて,共生軸の三角形ができる。この世界観は揺るぎないものではなく,人間は時代ごとに,そのつど経験をとおして納得していく過程である。この「風土の三角形」の意味を理解することは,場所の喪失の意味を知ることでもある。具体的には,戦争,植民地化による容赦ない場所性の剥奪,ダムで水没する村の住民が味わう場所の喪失感,長年住み慣れた場所から息子や娘の住む場所に移住する高齢になった親の心にぽっかり空いた場所の喪失感などがあり,場所にはさまざまな生活が詰まっている。したがって,場所は単なる地理的位置ではなく,場所の形成に関わった人間のアイデンティティーでもある。それ故,場所の剥奪は場所に関わる個人あるいは集団のアイデンティティーの剥奪につながり,人間に死の宣告をするに等しい。
 
 地球規模の環境問題を解決するためには,われわれにとって自分自身の地域的な「場所」を持つとともに,地球自体がわが「場所」になることが必要である。すなわち,地球環境問題が上述の場所化の深みを認識したとき,場所としての地球の永遠を願う気持ちが自然に芽ばえるであろう。そして,かけがえのない唯一の地球からわれわれの自然の力を感知し,新たな世界観を形成していく道が続いている。地球が場所化(風土化)していく過程に円環的あるいは循環的自然観を基礎においたネオ・アニミズム(新物活説)の世界が培われるように思われる。風土としての「場所」の理解は,場所の愛を熟知することである。
 
第2部 環境と人間の相互関係
 4.環境の持続的利用のイデオロギー(執筆者;寺嶋秀明)
 環境保護と経済の持続的成長といったテーマが新聞等に頻繁に登場してくるが,持続性(sustainability)の意味は大きく三つのグループに整理できる。第一のグループは生態学的発想をベースとし,資源や生態系の管理や保全という観点から考える。そして環境の受容力(carrying capacity) とか自然資源を損なわない利用を重要視する。第二のグループはエコノミスト的観点をベースにするのもで,経済的需要や経済成長を重要視する。ここでは資源にはさほど重大なダメージを与えず,いかにして経済需要に応えられるかが焦点であり,経済成長や生産性の向上は持続性の重要な指標となる。生産性の向上なしには持続性はない。第三グループは社会学的な観点をベースにするものであり,資源保全や経済的発展は人間の共同体とその社会的価値が保全されて初めて持続の意味をもつことを主張し,土地に住む人々の環境に関する考え方や知識の重要性を強調する。このなかで,第一のグループの考える持続性と第二のグループの持続性には大きな隔たりがあり,矛盾が生じる。資源レベルでの持続性を重要視しすぎると,経済システムとしての持続性がおぼつかなくなり,経済システムの持続性を追求すると資源レベルでの維持ができない。どこかで折り合わなければならない。
 
 筆者は狩猟・採取という最もシンプルな生業システムを中心に環境と人間の関わりの根源を解き明かしている。生態系における野生動物は,環境と対立しているのではなく,環境の構成要素であり,環境に回復不可能なほど大きな変動を及ぼすとは考えられない。ピグミーやサン族の狩猟・採取の生業システムを調査すると,環境の悪化の兆しがあるときは資源の分散的利用を図り,環境状態が良くなると,選択的な資源利用が行われる。このように環境と人間の相互作用により,人間と環境の持続的関係が成立する。彼らの共同体においては,食物の分配の不平等性や特別な人間を認めない社会,並びに政治的平等性が存在している。このような,生態系の中にすっぽりとはまりこんだ自然埋没型の人間社会では自然の力を得て再生産し,自然はこのような人間を包み込んで再生産している。すなわち,自然と人間の関係は文化的に共進化している。しかし,アフリカにも自然に対抗し,自分たちの都合の良いように自然を変えてゆこうとする開発型社会がある。その社会では競争が行動を律する重要なイデオロギーとなる。そして,自然埋没型社会には存在した平等性は,競争における平等性,つまり,公正という概念に置き換わっている。自然埋没型社会では,商品経済と無縁な平等性をベースにした自給自足の生活が存在する。開発型社会では,競争をベースとする商品経済であり,自然資源を商品化するばかりでなく,自分たちが必要とする以上の自然資源を求め,自分たちが商品化できない商品を購入するようになる。このため,環境からの収奪に歯止めがかからなくなる。また,対象資源は商品価値のある限定された生物種に限られ,その生存に大きな影響を与えるようになる。
 
 このように,競争原理のもとでは人と人,そして人と環境の間が二元的に対立する存在になり,開発か保護かというジレンマを生んだ。
 
 以上のことから,今日のわれわれがおかれた市場経済社会では,競争の結果として社会的不平等を是とするならば,環境との関わりを律する何らかの工夫を施さなければならない。このため,資源有限時代の人間は自然にまかせている側にはいかないと結んでいる。
 
第2部 環境と人間の相互関係
 5.環境をめぐる生業経済と市場経済(執筆者;市川光雄)
 人間の経済活動は環境の中から資源を採取して,それを消費しながら,さまざな財を生産する。そうして,生産された財を消費するとともに新たな財を生産し,最後にこれらの資源ならびに財を消費した残渣を廃棄するという一連の系から成り立っている。いわゆる生産というのは資源の形で地球に存在する高エントロピー物質を低エントロピーの財に変換することであり,その過程で大量の資源を消費するとともに,そうした消費によって,さらに高いエントロピーの廃棄物を排出する。生産とは資源の消費であり,消費は廃棄物を生産する。しかし,近代の経済活動においてはこの系の両端,すなわち,資源の採取と廃棄物生産についてはこれまでほとんど考慮されず,中間二項のみが切り離されて生産と消費が拡大されてきた。とりわけ,資本主義市場経済においては,そうした大量生産−大量消費の拡大再生産が需要の創出を組み込んだ自己産出システムとして促進されてきた。
 
 今日のグローバルな環境破壊をもたらしたのは,以上のような富を求める天井知らずの拡大運動である。それを支えたのが,自然もまた無限であるという幻想であり,地球環境は有限であることが最近になって強調されるようになった。ところが,地球上には人間の活動が環境維持,さらには,より豊かな環境創出に貢献さえしてきた社会がある。言い換えれば,地域の環境と人間の関係において,見かけ上,エントロピー増大の法則に従わないような現象が起きている。それらの事例を次に紹介する。
 
 事例1;ブラジル東部アマゾンの森林とサバンナのモザイク地帯に住む焼き畑農耕民カイアポ・インディアンは,サバンナの中にアペテと称する「森の島」を育成している。林床には食用,薬用,有用植物,狩猟動物の飼料となる植物など,多種多様な植物が植えられている。アペテが充分に成長すると5〜10haになり,アペテとアペテの移動ルートにもヤマイモや各種の果樹や薬草植物が植えられ,その移動ルートのネットワークは500kmに達する。
 
 事例2;西アフリカのギニアにも熱帯雨林とサバンナの移行帯に「森の島」が点在している。その直径は1〜2kmの丸い形しており,その中に農耕民の村がある。このパッチは農民が森を肥沃にしたり,野火を制御して草地化を防止し,休閑地を森に変えたりしており,森林面積はむしろ増加している。
 
 以上の事例から判るように,人間活動は,本来,環境に害しか及ぼさず,環境保護の重要性を認識している特定の者だけが環境維持に努力しているというような考え方は正しくない。人間存在そのものが環境問題を発生させているのではなく,生産と消費の無制限の拡大と環境破壊をもたらすような社会の仕組みそのものが問題なのである。この仕組みとは,人間と自然環境との間において制度化された相互作用の過程としての経済メカニズムである。
 
 次に,生業経済と市場経済(資本主義市場経済)をとりあげ,両者の環境利用の特質についてアフリカでの調査をもとに述べている。筆者は経済は何よりもまず生業経済(生計のための経済)が根源であり,次に,生存や交換のための生産だけでなく,それを通して,あるいはそれに伴って実現される儀礼,その他の文化的,社会的意味が考慮される必要があると述べている。 他方,市場経済とは経済化,経済的というように,目的と手段の間の関係に関するのであり,効率化とか合理的行動というような限られた希少な手段の行使にかかわる概念である。市場経済は市場での交換を前提に生産と流通が行われる経済である。また,市場経済はその交換がより広い社会において商品連鎖の一環を構成するような交換である。ところが,生業経済においては交換を行うために生産しているのであるから,物質は二者間にとどまり,生業経済における環境利用は次のような特徴をもっている。
 
 特徴1(自然との共存世界)
 アフリカ森林地帯の狩猟民族ムブディ・ピグミーは単に森の産物を利用するだけではなく,それらの再生産の条件をも整えている。彼らの生活は森の資源を含む生態系の大きな循環系システムの中にあり,森と人が共存している。
 
 特徴2(豊かな社会の過少生産)
 オーストラリアのアーネムランドの住民は一日3,4時間働くだけで必要な食物を得ている。アフリカのクン・サン族は一週間に2日半,食物獲得のために働くだけで必要な食物を確保し,余暇は昼寝,おしゃべりなど社交に費す。このように,豊かな社会は環境利用に関する余力によって支えられ,生産が有限の目標に向けられ,目標が達成されると,それ以上の新たな生産にたいするモチベーションは消失する。このため,このような過少生産システムが機能している限り,環境破壊や資源枯渇はおこらない。
 
 しかし,生業としての農業に利潤目的の市場経済が浸透すると,次のような変化がみられる。まず,少数の商品作物が集中して栽培されるようになり,生業としての農業を特徴付けていた多様な農−食複合体が単純化する。その一方で少数の商品作物を栽培するかわりに販売した利益で食糧やその他の生活物質を購入する。焼き畑では集約度を高めるため休閑期間が短縮され(休閑地),共有地の持続性が失われる。そして,社会関係の生産から富の生産へ,社会に埋めこまれた経済から経済の突出へ性格が変化する。
 
 しかし,市場経済と生業経済が接合しても持続的環境利用を可能にした事例もある。南米アマゾンにおいて,森林という資本には手をつけず,野生ゴムの樹液,椰子の実,ブラジルナッツなど,いわゆる利子のみを消費するシステムがある。アフリカの熱帯林でも果実,蜂蜜,食用昆虫,薬用植物,植物繊維など非木材産物の商品化の事例を紹介している。しかし,市場経済の論理と生態系の論理は相容れないものであるから,市場経済を持ち込むに当たっては,破壊的な影響を緩和するためのシステムが必要である。その事例を紹介する。コンゴのザイールではインフレによる物価上昇が激しく,貨幣と物の交換が成立しなくなった。そこで,政府は狩猟民ムブティ・ピグミーの獣肉と農耕民の穀物の取引に現金取引でなく,物々交換制度を採用した。このことによって,インフレによる生活の混乱を避けることができた。
 
第3部 環境危機のコスモロジーとリアリティー
 6.共有資源をめぐる相克と打開(執筆者;秋道智彌)
 1992年リオデジャネイロで行われた生物多様性国際会議では,森や海は誰の物か,絶滅に瀕する動植物は誰が保護し,何処まで利用を許すのかが論議された。このような,資源の乱獲の防止や適正利用をめぐって資源利用を国際的に規制しようとする動きが高まっている。筆者は資源の共有に関するこれまでの論説,共有資源の利用にみられる制度や慣行の意義と今後の課題について述べている。
 
 生物資源の基本的特性は更新性,無主性,文化歴史規定性の三つがある。動植物は世代を越えた繁殖力があり,適正に利用することによって,資源の持続的利用が可能である。これが更新性である。無主性とは,生物に限らず自然界の事物(自然物)は誰かの所有物であることが先験的に決められていないことである。ただし,自然物を資源として利用する際には特定の所有権や所有者が決められることである。つまり,人間の文化が関与すると,無主物が無主物ではなくなる特性がある。文化歴史的規定性とは,何が資源とみなされるかは文化や歴史の相対で決まることである。例えば,ヒゲクジラのヒゲはエスキモーはそり板,コップ,マットなど生活用具に使われ,日本では文楽人形の頭ゼンマイなどに使われる。このように資源は文化によって異なった価値が与えられる。
 
 共有資源のもつ特徴を筆者は,G・ハーディン著「共有の悲劇」を引用して以下のように説明している。誰のものでもない牧草地があり,そこに,牧夫達に自分の所有する家畜を放牧させるとする。放牧方法については,何の制度もなく,各自が自由に放牧した結果,過放牧となった。家畜は食べる牧草がないから,家畜の成長が悪くなり,牧夫全員が大量の損害をこうむった。その責任は誰にあるかというと,結局,誰も責任をとらない。これが悲劇につながる。つまり,ハーディンの説は共有こそが資源の乱獲や環境破壊をもたらすもとになるという説である。
 
 しかし,筆者は共有資源は必ず悲劇につながるのではなく,共有資源を如何に持続的に利用するかをこれまでの事例をあげて説明している。わが国では,山林や牧野の利用について,入会地制度がある。入会地では共有資源や共有地を持続的に利用するためにさまざまな慣行やしきたり(調停や罰則)がある。このような社会的要因が働いて持続的利用を可能にしてきた。また,スイスの農牧輪作システムでは,畑地として利用する期間は個人が管理し,草地に転換されると共有地となり,共同で利用管理するシステムが確立している。同様に,焼き畑でも樹木の伐採から火入れまでは共同作業を行い,畑の管理は個人が行う方式がわが国でもあった。
 
 一方,漁業においても,共同漁業権としてアワビ,サザエは共有の資源であるが,自由遊魚は対象外とする制度がある。さらに,インドネシアの山林においても,サゴヤシ,ココヤシ,ドリアン,パイナップルなどを共有の資源として管理し,持続的利用を可能にしている。
 
 ところで,共有資源は誰にとって共有なのかという問題は,全人類にとってなのか,あるいは国や地域村なのかという論議があるが,この設問は人間中心であり,疑問があると,筆者は指摘している。ちなみにカモシカのためにマタギはゼンマイを全て取り尽くさないで残すことから物語るように,人間が利用する資源は野生の動植物との共有資源であるかもしれない。このことをわれわれは余すことなく知っているわけではない。したがって,資源は必要な分だけとり,全部を取り尽くさないということは,資源の持続的利用において重要である。
 
 以上のように,「共有の悲劇」のモデルは実際には起こり得ない場合が多いと言われるが,共有資源の持続的利用を可能にするための,人間行動を規制するモデルはまだない。
 
第3部 環境危機のコスモロジーとリアリティー
 7.環境の「近代化」と先住民族の生存(執筆者;葛野浩昭)
 筆者は,スカンジナビア半島の少数民族サミがもつ環境破壊に対する意識と,多数民族がもつ少数民族の環境破壊に対する認識のギャップをサーミ族の歴史的変遷から解析した。
 
  1852年,ノルウエーとフィンランド間の国境封鎖によって山岳サーミはトナカイともども大規模な移住を余儀なくされた。この国境封鎖によって,トナカイ遊牧環境が破壊され,放牧方式とトナカイの体格が変化した。山岳サーミにとって,国境封鎖の問題は国家単位では解決できず,国境を越えた民族として連帯が生まれ,それが脆弱な環北極の環境を民族的遺産として保全するという民族的な意識の高まりに生まれ変わった。
 
 その経緯をさらに詳しく説明すると,この北極圏の環境ではトナカイ飼育だけでは生活できないため,サケ・マス漁業,ライチョウの狩猟,渡り鳥の卵の採取など多様な方法で生活の糧を確保している。しかし,トナカイ飼育に重点をおく山岳サーミは遊牧民であり,漁労に重きをおく河川サーミは,牛や羊も飼育する定住民であった。しかし,国境封鎖以降,山岳サーミは定住化を余儀なくされ,河川サーミとの棲み分けに混乱が生じた。
 
 現代に入ると,スノーモービルの導入という,たった一つの近代化がサーミ社会にさまざまな影響を及ぼした。具体的には,オオカミの減少,トナカイの交通事故の多発,ライチョウの狩猟方法の変化,地域完結性の消失,スノーモービルを所有する者と持たざる者の技術的・経済的な格差が拡大した。その後,表現豊かなサーミ語が国語化するという公的復権を勝ち取り,さらには,近代的市場経済が侵入することに伴って,生業としてのトナカイ飼育からタクシー運転手などの賃金や年金で生活の糧を得るサーミが増加した。彼らの中には民族としての生存の証として賃金や年金をつぎ込んで少数のトナカイを飼育する人々も出現するようになった。
 
 以上のサーミ族の生活環境の歴史的変遷から,サーミ族と環境との関係の典型的表現は次のように言われる。
 (1)先住民族の生活環境は彼ら自身でなく,彼らを支配してきた多数派側の異民族の手による開発等によって破壊されてきた。(2)多数派側の民族が自然環境を開発の対象としか考えないのに対して,先住民族は人間を生態系の一部と考え,自然と共生する世界観に生きている。とくに(2)の語り方は先住民族ばかりでなく,地球環境の危機という認識が世界的に共有されるに及んで,従来のような開発優先の環境観を見直し,先住民族の環境観,世界観を学ぼうというメッセージにまでに高まっている。ところが,多数派民族側が語る「環境」と先住民族が語る環境との間には微妙なズレがあると筆者は指摘している。すなわち,先住民族はみずからの「民族としての存続」の追求が切実な課題であるから,多数派が考えている以上に社会的・文化的に意味合いの強いものにならざるをえなかった。この結果,少数民族にとって環境を民族的な遺産としている。
 
第3部 環境危機のコスモロジーとリアリティー
 8.環境と開発を読む(斎藤尚文)
 これまでの多くの文化人類学者は小さな村にとじこもって人と環境の関わり,あるいは一国の枠組みの中における集団や民族と環境の関わりを調査してきた。しかし,パプアニューギニアの森林の開発と保全をめぐる問題を調査した筆者は,地域の人々と環境のかかわりが地域や国内に止まらず,国際社会の中でその位置づけを明らかにしなければ解決できない課題があることを指摘した。
 
 パプアニューギニアでは森林開発をめぐって,大規模伐採企業,森林の持続的利用を推進する人々とそれを支援する国際的な資金援助機関や非政府組織機関をまきこんで対立していた。当初,政府は森林産業を奨励し,木材の輸出によって国家財政を豊かにしようと考えた。大規模伐採が環境に悪影響を及ぼすことを懸念する専門家は,小規模な労働集約型森林事業や収奪的伐採を中止し,持続的に収益を得る経営に投資すべきと主張した。その後,世界銀行がこの持続的生産管理を支援したため,国の森林政策は大きく変換した。このため,森林伐採企業は現在の伐採量は,持続可能な量であるが,木材価格の暴落と増税によって,業界の存続が危ういことを訴えた。
 
 大規模伐採に反対する北部州コリウッドのマイシン人は,伝統文化であった樹皮布の販売を促進する運動を行った。このような資源と文化を破壊させない持続的開発戦略は非政府組織にも支持された。さらに樹皮布を作っているマイシンの女性達はアメリカ合衆国にわたり,この樹皮布と伝統の踊りを披露することによって,持続的開発と伝統文化の継承という運動を展開した。この運動は国際的な非政府機関(NGO)にも支援を受けられた。さらに,自然環境を保護するために,野生生物保護地域に暮らす人々が鉱山と森林伐採の企業に抗議し,非政府機関の支援で開発プログラムを学ぶなど,森林保護に対する非政府組織の活動範囲が拡大した。
 
 このような,非政府組織の活発な活動に対して,森林伐採企業側はその活動を危惧し,政府に次のような要求をおこなった。(1)政府はNGOの活動を審査せよ。(2)国際的非政府機関の機構調整プログラムは,われわれ国民を助けてきたか?(3)グリーンピースは「環境に優しい」エネルギー資源への移行を力説するが,グリーンピースは石油会社から資金を得ている。これに対して,政府側は非政府組織は政府に対抗する勢力ではなく,政府の事業を補完するものであるとした。しかし,非政府組織の中には政府と密接な関係を結び,政府から支援をあるいは世界銀行から援助を受けているものも少なくないことを明らかにしている。
 
 以上のように,企業,政府,地元の人々,国際的非政府機関の立場をまとめると,(1),伐採企業は利潤をあげるのが目的であり,住民の生活向上そのものが目的ではない。(2),政府は社会基盤整備を行うための企業が必要である。(3)(1)(2)の狭間に非政府機関の活躍の場が生まれた
 
 しかし,地球環境を守る上で熱帯森林を保護するために非政府機関はそこに暮らす人々に現金収入の機会を提供しているが,それは労働と資金源を世界市場で利用可能なものにすることによって,地域社会を搾取している。あるいは小規模な開発は経済的には周辺的なものにすぎず,その価値は限定されるといった批判もある。
 
 以上のことから,筆者は森林資源を所有し,そこから日々の生活の糧を得ながら現金収入も必要とするパプアニューギニアの人々と,市場を通して森林資源を購入,消費しながら地球環境を保持するために熱帯林を必要とする国外の人々とが,市場経済にとらわれることなくどうつきあうかが,今後,重要な課題であると結論している。
 
 

資料:気候変化2001
IPCC地球温暖化第3次評価報告書−政策決定者向け要約−
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)編

 
 
 IPCC地球温暖化第3次評価報告書−政策決定者向け要約−が,環境省地球環境局の監修で出版された。第1作業部会,第2作業部会および第3作業部会の翻訳は,それぞれ気象庁,環境省および経済産業省が担当し,(財)地球産業文化研究所がとりまとめている。
 
 「はじめに」と目次は以下の通りである。
 
 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は1988年に世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)で共同で設立した国連の組織で,気候変化に関する最新の自然科学的知見をまとめ,地球温暖化防止施策に科学的な基礎を与えることを目的としている。これまで,1990年に第1次評価報告書,1995年に第2次評価報告書をとりまとめている。
 
 今般,第3次評価報告書のとりまとめが行われ,2001年1月から3月にかけて,第1作業部会第8回会合(上海(中国)),第2作業部会第6回会合(ジュネーブ(スイス)),第3作業部会第6回会合(アクラ(ガーナ))がそれぞれ開催された。これら会合において,気候系についての理解の現状と将来の気候予測をまとめた第1作業部会報告書,気候変化の影響に対する自然・人間システムの感受性,適応力,脆弱性についての評価をまとめた第2作業部会報告書,気候変化の緩和対策について,その科学的,技術的,環境的,経済的,社会的側面についての評価をまとめた第3作業部会報告書の3つの報告書について,それぞれの政策決定者向け要約(Summary for Polycymakers)の審議・採択及び各作業部会報告書本体の受託が行われた。今回の第3次評価報告書は,過去2回まとめられた評価報告書を踏まえた上で,それ以降に得られた地球温暖化問題全般に関する世界の最新の科学的知見を取り込んで集大成されている。特に注目すべき点は,
 
(1)過去50年間に観測された温暖化のほとんどが人間活動によるものであるという,新たな,かつより強力な証拠が得られたこと,
(2)21世紀中の全球平均的気温の上昇の予測を1.4〜5.8℃と第2次評価報告書に比べて上方に修正したこと,
(3)数々の証拠により,近年の地域的な気温の変化が多くの物理・生物システムに対して影響を及ぼしている高い確信があること,
(4)21世紀には,生態系の崩壊,干ばつの激化,食料生産への影響,洪水・高潮の頻発,熱帯病の増加等,広範な分野において大きな影響が予測されること,
(5)技術的対策に大きな進展がみられ,緩和対策には大きなポテンシャルがあるものの,その緩和方策を成功裡に実施するには,さらに多くの技術上や社会経済等の障害を克服する必要があり,総合的な対策の推進が効果的であること,等である。
 
 これらの科学的情報は現時点で人類が入手しうる最も確かな知見であり,今後人類が温暖化防止のための施策を検討するにあたり,重要な科学的基礎となるものである。
 
 目次
 はじめに
第1作業部会報告書  気候変化2001 科学的根拠
  政策決定者向け要約
○観測成果が増えたことによって,世界的な温暖化及び気候システムにおけるその他の変化についての全体像が明らかになっている
○人間活動による温室効果ガス及びエーロゾルの排出は引き続き大気を変化させ,気候に影響を与える
○将来の気候を予測するモデルの能力の信頼性が増してきた
○近年得られた,より強力な証拠によると,最近50年間に観測された温暖化のほとんどは人間活動によるものである
○21世紀を通して,人間活動が大気組成を変化させ続けると見込まれる
○地球の平均気温と平均海面水位は,IPCC SRESシナリオに基づく予測結果の全てで,上昇する
○人為起源の気温変化は,今後何世紀にもわたって続くと見込まれる
○さらに活動を重ね,気候変化に関する情報や理解の空白を埋めなければならない
  第1作業部会報告書 図
 
第2作業部会報告書  気候変化2001 影響,適応,脆弱性
  政策決定者向け要約
1.序
2.新たな見解
3.自然・人間システムの影響と脆弱性
4.脆弱性は地域によって異なる
5.影響,脆弱性,適応の評価の改良
  第2作業部会報告書 図
 
第3作業部会報告書  気候変化2001 緩和対策
  政策決定者向け要約
○序文
○緩和への挑戦の特質
○温室効果ガス排出を制限または削減し,吸収を増大させるオプション
○緩和行動のコストと副次的な便益
○知識のギャップ
  第3作業部会報告書 図
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