T.はじめに −美しいシルクとともに−

 シルクの歴史は麻や羊毛などと同様に大変古く、今からほぼ5,000年前に中国で使われはじめてから今日に至るまで、絶えることなく常に「繊維の女王」として世界中の人たちに愛用されてきました。
 シルクは人間が大切に育てたカイコの繭から糸をていねいに解きほぐして作ったもので、私たちが使う衣服や装飾品になるまでには長い時間と熟練した沢山の人の手をかけなければならないのが普通です。そのためシルク製品の値段は大変に高<、普通の人たちには高嶺の花(たかねのはな)のようなものでしたので、シルクと同じものを人工的に作ろうとする研究が250年ほど前から始められ、今から、ほぼ110年前にパルプを原料とする再生繊維が、60年ほど前には石油を原料とする合成繊維が発明されました。そしてナイロンやアクリル、ポリエステルなど、見た目にはシルクに良く似ていてしかもはるかに丈夫であり、洗っても早く乾きしわにもならないなど、大変扱い易い合成繊維がつぎつぎに開発されて安いコストで大量生産されるようになりました。そのため、シルクの用途は段々に狭められてきましたが、今でもドレスやスーツ、ブラウスなどの洋装用の高級衣料のほか、スカーフ、ハンカチ、ネクタイなどの洋品小物類に多く使われており、とくに日本ではシルクといえばきもの、きものといえばシルクといわれるほどに和装分野でたくさん消費されております。
 現在も合成繊維の改良は続けられており、シルキー繊維といわれる新合繊や面白繊維など新しい繊維が次々と登場しつつあります。好みは人によって異なるもので、合成繊維は完全にシルクを追い越したと評価する人たちも多くなってきているようですが、合成繊維業界の専門家の中には、製品の美しさと着心地などの感性面でぱまだシルクには遠く及ばないと考えている人たちが多く、優雅な光沢と美しい染め上がり、しなやかな手触りと軽くて暖かな着心地など数々の優れた特性を持つシルクは、依然として「繊維の女王」の地位を保っております。このように数千年にわたって絶えることなく人々から愛されてきたシルクは正に由緒正しい最高の繊維素材であるということができましょう。
 現在も世界のシルク生産は中国やインド、ブラジルなどを中心に年々増加を続けており、1991年には生糸量換算で、112万俵分と過去最高であった1930年代とほぼ同量の生産を記録しました。これに対し、大変に古いシルクの歴史を持ち、とくに明治初年以降、長い間世界のシルク産業をリードしてきたわが国の蚕糸業は、近年、海外からの安価な輸人品におされて低迷を余儀なくされておりますが、需要は依然として活発であり、消費量は世界全体の3分の1に近い31.8万俵分(19,000トン、1991年)に達しております。
 一方、このように衣料素材として従来から知られてきた幾つかの特徴のほか、最近になってシルクが人間の身体と深いかかわりを持つ20種程のアミノ酸がつらなってできているタンパク(蛋白)質であることから、生体適合性に富んでいて人の肌とのなじみが大変に良いこと、紫外線を吸収して通さないことなどのために健康にも良いことなどが明らかにされてきております。さらにシルクを作ったり使ったあと捨てたりしたとき地球の環境を損なうことも少ないなど天然タンパク質特有の素晴らしい機能が認識されて、今までの用途以外の分野でも新しい素材としてシルクが見直されてきており、肌着やカジュアルなどの衣料用品のほか化粧品や医療用品、食品、生物産業分野等でさまざまな新製品が開発されつつあります。とくに新しい衣料用途に対しては、まだ小規模ですが、生糸を作る段階で他の繊維と混ぜたハイブリッドシルクや、繭糸の並べ方に変化を持たせたネットロウシルク、短かく切りながら糸条化したスパンロウシルクなど、今までの生糸とは形や性質を変えた各種の新形質生糸が作られるようになり、さらに絹糸や繊維などに樹脂を付けたり薬品で処理するなどして性質を変えたシルクも作られるようになってきております。このように見てくると、シルクには今まで知られていなかった新しい顔があり、なじみの薄かった人達の眼にもシルクは多様な顔を持った新鮮な素材であると映っているに相違ありません。 したがってシルクはただ古いというだけでなく、新鮮な素材でもあるということができると思います。
 このように、シルクに開する大変に古い歴史と、世界中で最もシルクを愛好する沢山の消費者とを持つわが国においてシルクの生産に携わる私たちは、シルクの伝統とその生産技術の伝承者であることに大きな誇りを持ち、これからもよりよいシルクの生産を心掛けて行きたいものです。
 なお、シルクを作る昆虫には、人間が何千年も家の中で飼育してきたカイコガ料のカイコ(これを家蚕と呼んでいる)とクワコのほか、ヤママユガ科のテンサン、サクサン、ムガサン、エリサンなど(家蚕に対し、これらは野蚕呼んでいる)、その種類は20数種類もあり、世界各地で伝統的な手法によりそれぞれの特性を生かしたさまざまなシルク製品がつくられていますが、わが国でシルクといえばカイコの生糸で作ったもののことをいっている場合が多いので、このガイドブックではカイコの繭から作るシルクに限定し、これから製糸の仕事に携わるものとしてぜひ知っておいて欲しいシルク産業全体と製糸業の姿を眺めたうえで、生糸の作り方について勉強することとします。


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