本書は、東京大学大学院人文社会系研究科で環境を主題とした「多分野交流演習」の内容をとりまとめたものである。演習は「安全を求めるということ」を切り口とし、人文社会系研究科、文学部を中心に他分野の学生も参加し、2000年から現在(2005年)まで継続されている。本書は、経済学、倫理学、考古学、民俗学、哲学、生態学を専門とする研究者と弁護士の計8名によって執筆されており、安全な生活をおくるために、多様な環境リスクにどのように対応し解決すべきかを論じている。各章を簡単に紹介する。
「安全を求める人々の営み(松永澄夫著)」: 人々は自然環境を基盤に人工環境をつくり生活の場を拡大してきた。その環境の中で様々な厄災・危険が生じる。危険概念と安全概念を対比し、「環境に関わる諸々の危険に気づくこと、気づかせること、といった情報の役割。・・どのような安全策があり得るのか、技術の探究とその実施を強く促していくこと」を重要としている。また、安全性を追求するために、生活者、科学者、技術者、政策立案者など互いの信頼こそが肝要である。
「ヒトはどのような場所に住んできたか(佐藤宏之著)」: 700万年の人類史を時代に沿って総括し人間の環境適応について述べている。適応行動や思考は、狩猟採集生活・社会から定住生活・社会へ、また、野生の思考から科学的思考へ移行してきており、現在の環境対策の実行に当たって人類史の歴史的な経路の考慮も必要としている。
「在地社会における資源をめぐる安全管理(菅 豊著)」: 「在地社会」とはある程度共通した社会的価値観、倫理観を生み出せる地域共同体程度の単位とし、普通のムラ、マチのような「実体として認識できる社会規模」と想定している。在地社会では「人間と資源」、「人間と人間」の関係においてリスクがあり、それらのリスク回避にむけた視点、回避戦略について整理している。
「化学汚染のない地球を次世代に手渡すために(中下裕子著)」: 化学物質による環境汚染の実態と各国におけるリスク管理の取り組みを紹介し、さらに、わが国の化学物質政策について提案している。(1) 持続可能な化学技術・管理システムへの転換、(2) 予防原則の採用と積極的な代替品への転換、(3) 生産者責任を強化し毒性データに関する情報の開示、(4) 子供の健康や野生生物に配慮した安全性の確保、(5) 化学物質管理の意思決定に市民、NGOなど多様なステークホルダーの参画などを提案し、次世代の子どもに安全な環境を継承することが使命である。
「環境リスクとどうつきあうか(松田裕之著)」: 自然と人間の関係はリスクの高い関係である。ここでは、化学物質による生態影響、リスク評価の考え方やリスク管理に対する費用対効果、ゼロリスク論、予防原則などについて解析し、リスクの評価方法が科学的に十分確立されていないことを例示しながら紹介している。
「監視社会化の何が問題か(原一樹著)」: 近年のコンピュータに代表される情報システムの発達は、質、量ともに高度な監視システムを構築してきている。このような管理社会の中で「自由・時間・平等・空間」に関する問題を検討し、「具体的に誕生しつつある監視技術の詳細や法律の条文の中身にまで、注意を払っていく必要があるだろう」と結論している。
「リスクの政治(金子勝著)」: 環境や安全に関する不可視で予見困難なリスクは、政府や専門家集団による情報操作の余地があり、リスクを政治的に操作することの可能性があると指摘している。リスクに強い社会は、環境の変化によりよく対応できること、多様な意見があり多様な価値を認め合うことであり、多様性を保つことが最も平等を保証するという筆者の「セーフティネット論」を論じている。
「リスクを分かち合える社会は可能か(鬼頭秀一著)」: 自然の脅威からの安全確保は科学技術の進展で十分に解決できるものではない。また、自動車運転のようにリスクを容認しながら便益を受ける場合、このようなリスクは「自己責任」といえる。リスクを分かち合える社会にするため、「(1) 普遍性を目指すのではなく、地域性に重点が置かれる多元的な技術、(2) 地域社会の歴史性、文化性を考慮する歴史・文化文脈的な技術、(3) 地域社会の、社会のあり方、合意形成のあり方を考慮する参加型の技術、(4) 完全性を目指すのでなく、不完全に意味を見出す開かれた技術」を求めている。
目次
はしがき
第1章 安全を求める人々の営み
1 さまざまな価値に浸透された環境
2 厄災の種別
3 集団の中で生きる人間にとっての厄災・危険
4 安定としての安全から豊かさと快適さへ
5 新しい種類の危険
6 さまざまな価値に浸透された環境における安全という価値
さいごに:情報と技術と信頼
第2章 ヒトはどのような場所に住んできたか
はじめに
1 直立二足歩行するサル --- 人類史の第1段階[700〜100万年前]
2 道具・火・拡散 --- 人類史の第2段階[250〜10万年前]
3 寒帯への適応 --- 人類史の第3段階[30〜3万年前]
4 創造の飛躍 --- 人類史の第4段階[20万年前〜現在]
5 定住のもつ意味
6 人類史から見た環境論の視座
注
引用・参考文献
第3章 在地社会における資源をめぐる安全管理
はじめに
1 在地社会の資源をめぐるリスクの二つの側面
2 在地社会のリスク回避への視点
3 人間と資源の関係にあらわれるリスクとその回避法
4 人間と人間の関係にあらわれるリスクとその回避法
5 在地社会がとり得る現代的リスク回避戦略
おわりに
引用・参考文献
第4章 化学汚染のない地球を次世代に手渡すために
1 深刻化する化学汚染
2 化学物質と「安全」
3 リスク・アプローチの限界
4 諸外国の先進的取組み
5 新たな化学物質政策の提案
注
引用・参考文献
第5章 環境リスクとどうつきあうか
1 自然観の変遷
2 内分泌攪乱化学物質とリスク評価
3 人と自然の「間」の取り方
引用・参考文献
第6章 監視社会化の何が問題か
はじめに
1 進行しつつある「監視社会化」の基本的特徴
2 監視システムの概要と現状 --- 映像・情報・身体を軸として
3 諸監視システムの社会への浸透の合意、及び進むべき方向性の検討
4 結論にかえて
注
引用文献
参考文献
第7章 リスクの政治
1 不毛な二分法を超えて
2 不安を利用する政治
3 契約理論の限界
4 社会ダーウィニズム批判
引用・参考文献
第8章 リスクを分かち合える社会は可能か
はじめに
1 「安全」「リスク」と「社会」
2 リスクと「信頼」
3 リスクを分かち合える社会に向けて
付記
参考文献
執筆者紹介