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情報:農業と環境 No.94 (2008.2)
独立行政法人農業環境技術研究所

GMO情報: オオカバマダラ再び ―都合の良い科学的根拠の引用法

昨年(2007年)11月末から、欧州連合(EU)は遺伝子組換え作物の新たな栽培認可をめぐって揺れ動いている。商業栽培の申請が出されていた2つのBtトウモロコシ(どちらもりんし目害虫抵抗性と除草剤耐性の形質を持つBt11とTC1507)に対する欧州食品安全機関(EFSA)の安全性評価の結論について、欧州委員会の Stavros Dimas 環境担当委員(環境大臣)が、評価書としての採用を拒否したのである。食品・飼料用としての組換え作物の輸入認可でも、加盟国の意見がまとまらず、承認作業が進まないことはEUでは普通の出来事である。しかし、EFSAの判断を欧州委員会の担当委員自らが否定するような例は今までになかった。

EUにおける組換え作物の商業栽培利用の承認は、EUの環境放出指令(2001/18/EC)に基づいて行われる。食品と飼料の安全性が承認されていることが前提要件で、さらに、栽培利用のための承認手続きは以下のように複雑である。(1) 申請者(開発者)が国家機関(EU加盟国)に申請書を提出 → (2) 欧州委員会へ通知 → (3) 通知書内容に加盟国から異議があればEFSAへ差し戻し → (4) EFSAでリスク評価書作成 → (5) 欧州委員会で審議(3分の2以上で承認または不承認) → (6) 有効票数に達しない場合、欧州閣僚理事会の投票(3分の2以上で承認または不承認) → (7) 有効票数に達しない場合、欧州委員会で再決議。

今回のケースでは、手続きの(3)で、複数の加盟国から異議(とくに非標的生物への影響に対する懸念)が出されたため、(4)で、EFSAが人や家畜への安全性も含む環境安全性に関するリスク評価を実施し、「安全性に問題なし。栽培による有害影響を示す科学的根拠はない」と判断した。しかし、(5)の最初の段階で、欧州委員会の Dimas 環境担当委員が、「EFSAの評価が行われた2006年11月以降に、Btトウモロコシによる環境への悪影響を示唆する複数の論文が公表された」 ので 「Bt11 も TC1507 も栽培承認できない」 として再審査を求め、欧州委員会での審査作業は中断してしまった。

Dimas 氏の提示した2006年11月以降に出された新たな科学的知見は11本の論文であるが、主要な根拠論文は2007年10月に全米科学アカデミー紀要(PNAS)に載った 「トビケラ論文」 (情報:農業と環境91号 参照) と、2007年2月に米国昆虫学会 Environmental Entomology 誌に載った Prasifka らの 「オオカバマダラ幼虫異常行動論文」 の2本である。なお、今年(2008年)1月11日、フランス政府は自国で昨年(2007年)まで2万ヘクタール以上で商業栽培されていたBtトウモロコシ(EU全体で栽培承認されている MON810 系統)の2008年の栽培を 「環境への悪影響が懸念される」 との理由で、認可しない方針を発表したが、その科学的根拠にも、トビケラとオオカバマダラの論文が含まれている。

オオカバマダラ蝶というと、「Btトウモロコシの花粉でオオカバマダラの幼虫が死ぬ!」 とセンセーショナルな話題を世界中に提供した Losey らの報告(Nature 誌1999年5月)を思い出す人も多いだろう。Losey らの実験は、野外では起こりえない高密度の花粉を室内試験で強制的に与えた結果であった。さらに彼らが使用したBtトウモロコシ系統(Bt11)は花粉ではBtトキシンをほとんど発現しないため、野外でオオカバマダラ幼虫に悪影響を及ぼさないことが証明された。オオカバマダラがBtトウモロコシによる環境リスク問題の場に登場するのは8年ぶりであるが、今回の Prasifka らの論文は著者らがとくに悪影響を指摘したものではなく、組換え作物反対派や懸念派からもとくに注目はされていなかった。

Btトウモロコシ花粉によるオオカバマダラ蝶への影響については、 Losey ら(1999)の発表以降、多くの追跡調査が行われている。下表で印を付けた、ほかの論文は、なんらかの悪影響を報告しているが、これは花粉で高濃度のBtトキシンを発現する系統(Bt176)を用いた場合であり、現在この系統は世界のどの国でも商業利用されていない。Prasifka らは花粉ではなく、葯(やく)(花粉をつくる袋状の器官)を室内試験で高密度に与えるとオオカバマダラ幼虫が葯を避ける異常行動をとることを示し、非Btトウモロコシの葯ではこのような影響は小さいので、Btトウモロコシの葯についてまだ未解明の部分があると報告している。この研究は下表にあげた Anderson ら(2004、2005)と同じ研究グループによるものであるが、たとえ室内試験で異常行動が見られたとしても、「野外でトウモロコシの葯がオオカバマダラ幼虫の食草に堆積する量はひじょうに少ない」、「花粉より大きな葯を幼虫は自由に避けて葉を食べることができる」 として、野外での悪影響の可能性はほとんどないだろうと著者らは考察している。

表 Btトウモロコシ花粉がオオカバマダラ幼虫に及ぼす影響を調査した研究

影響評価 文献 系統名 (殺虫成分) 調査条件 備考
■ Losey et al. (1999)Bt11 (Cry1Ab)室内発端論文
■ Jesse and Obrycki (2000)Bt11, Bt176 (Cry1Ab)野外Bt176のみ圃場3m以内で悪影響
□ Hellmich et al. (2001)(Cry1Ab, Cry1Ac, Cry9C, Cry1F)室内Bt176のみ悪影響
□ Oberhauser et al. (2001)野外
□ Pleasants et al. (2001)野外
□ Sears et al. (2001)野外
□ Stanley-Horn et al. (2001)Bt176, MON810 (Cry1Ab)野外
□ Tschenn et al. (2001)Bt176 (Cry1Ab)室内/網室
■ Zangerl et al. (2001)Bt176, MON810 (Cry1Ab)野外Bt176のみ悪影響
□ Jesse and Obrycki (2003)MON810 (Cry1Ab)野外
□ Koch et al. (2003)(Cry1Ab)野外
□ Anderson et al. (2004)Bt11, MON810 (Cry1Ab)室内/野外
□ Dively et al. (2004)Bt11, MON810 (Cry1Ab)室内/野外
□ Anderson et al. (2005)MON810 (Cry1Ab)温室/室内
□ Mattila et al. (2005)(Cry1Ab+Cry2Ab2)室内
△ Prasifka et al. (2007)Cry1Ab (MON810)室内高密度投与の葯を回避

影響評価の結果: 悪影響なし 悪影響あり 追試必要(判定できない)

ここで問題としたいのは Prasifka ら(2007)の論文の内容ではなく、科学的根拠として論文を引用する側の姿勢である。Dimas 氏はEFSAの専門家に意見を求めず、彼自身の組織した科学アドバイザーらが提示した科学的根拠をもとに独自の判断を行った。科学的根拠として引用された論文の多くは、Prasifka ら(2007)を含め、専門分野の研究者しか読むことのない学術誌である。このような論文を取り上げた専門家は、これらの論文がとくに悪影響を指摘したものでないことや、今回審査の対象となった2つのBtトウモロコシ系統(Bt11とTC1507)についてとくに強調しているものではないことを知っているはずだ。また、上の表で印を付けた「悪影響がなかった」論文も読んでいるだろう。

遺伝子組換え作物の野外栽培に伴う環境へのリスクを強調する側は、今回の非標的生物への影響だけでなく、「花粉飛散による近縁野生植物との交雑」、「交雑に伴う野生植物集団への遺伝子浸透」、「導入された遺伝子の土壌微生物への水平伝播(でんぱ)」 など、さまざまな事例を取りあげる。海外ではこれらについても多くの研究論文が発表されているが、野外の生態系での有害影響を実証した例は今までに報告されていない。ただし、これは商業栽培が承認された組換え作物系統についての報告であり、まだ承認されてない系統や、商業化を目的としていない実験レベルの組換え植物では、もしこのような植物が野外で広く栽培されたならば生態系に悪影響を及ぼす可能性を強く示唆する報告はある。科学者や専門家がこれらの論文を一般市民向けに紹介する際には、「実際に商業利用が承認されている組換え作物」なのか「まだ実験段階の組換え植物」なのかをきちんと区別して説明する責任がある。

数多くの論文の中から、「こんな懸念が学術誌に報告された」と都合の良い論文だけを紹介して、組換え作物による生態系へのリスクをいたずらに強調する例がある。そのような論文が発表されたのは事実であり、嘘をついているわけではない。だが、このような引用方法はフェアではないし、意図的に情報を選んで発信しているとしたら悪質である。専門学術誌に掲載された情報の意義や信頼性を見きわめるのは、専門分野が異なれば研究者でも難しい。ましてや一般市民ではほとんど不可能であろう。Prasifka ら(2007)のオオカバマダラの論文を「新たに見つかった悪影響の例」として引用する研究者や科学ジャーナリストには、上の表にあげたような他の研究論文も示して、「これらの論文は読んだのか? その上で今までの一連の研究から総合して判断したのか?」と問うてみたい。

組換え技術、組換え作物に関しては、推進、反対、懸念、慎重と、さまざまな立場から情報が発信される。たとえば、組換え作物の利点だけをあげる側からの情報も注意して見きわめる必要があるだろう。また、明確に意図しなくても、リスクの可能性を示す論文を多く引用し、自らの研究の意義・重要性を強調する場合もあるかもしれしない。人や家畜への影響も含め、組換え作物による環境リスクについては社会的関心が高いだけに、情報の発信や論文の引用においては、研究者のモラルが問われることになる。

おもな参考情報

Prasifka et al. (2007) Effects of Cry1Ab-expressing corn anthers on the movement of monarch butterfly larvae. Environmental Entomology 36(1): 228-233.
(オオカバマダラ幼虫の行動に対するCry1Abトキシンを発現するトウモロコシ葯の影響)

表にあげたPrasifka et al. (2007) 以外の文献は白井 (2007) を参照
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjaez/51/3/51_3_165/_article (最新のURLに修正しました。2013年12月)

Abbott and Schiermeier (2007) Showdown for Europe. Nature 450: 928-929.
(ヨーロッパの対決: Dimas 環境担当委員の決定根拠を批評した Nature 誌、2007/12/13号)

欧州委員会環境担当委員(S. Dimas)の未承認通知文書(2007年11月)
http://www.gmo-safety.eu/pdf/dokumente/draft_bt11.pdf

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