生物多様性研究領域では、第3期中期計画において耕作放棄地の拡大や農法の変化、外来生物の侵入などによる生態系撹乱(かくらん)のパターンの変化が農業生態系の生物多様性に及ぼす影響の解明を主要な研究課題としている。農業生態系における生物多様性を対象として研究する場合、生物の生息場所としての景観構造とそこに生息する生物の関係のほか、植物や昆虫等それぞれの生育、生理、生態、行動等の特性など、さまざまな研究分野の勢力を結集することが必要となる。また農業生態系における生物多様性を考える上での景観構造の重要性は、農業環境技術研究所の設立直後は資源・生態管理科で実施されていた多面的機能に関する研究(10 章)として実施されてきた。そこで本稿では、現在の生物多様性研究につながる植物と昆虫を対象としてきた研究の系譜を中心にその概要について述べる。
1983 年 12 月に設立された農業環境技術研究所の環境生物部には、農業技術研究所の病理昆虫部にあった昆虫科を引き継いだ昆虫管理科と新たに設置された植生管理科が置かれた。当時の研究所の目標は、農業生産の収量や効率のみを目ざすのではなく、環境に対する負荷をできる限り軽減し、安定的で持続的な農業活動のための基礎研究および技術開発とされていた。植生管理科では、農業環境を良好な状態に維持することによって農業生産の安定向上を図ること、昆虫管理科では、農業生態系の機能保全と両立する害虫管理体系の確立が目標とされ、「生態系調和型農業」、今日の言葉で言えば 「環境保全型農業」 のための基礎研究および技術開発が行われた。
その後、1980 年代半ばには経済協力開発機構(OECD)における農業の多面的機能に関する議論の中で 「生物多様性の保全」 が取り上げられ、また生物多様性条約(1992 年)が締結されるなど、1990 年代には 「生物多様性」 に対する関心が次第に高まるとともに、植生管理科や昆虫管理科においても「生物多様性」を対象とした研究が始まった。
2001 年から始まる第1期中期目標期間においては、これまで農業環境技術研究所で実施してきた 「環境保全型農業」 に関する研究のうち、生産現場での応用に向けた技術開発は独立行政法人農業技術研究機構が担当し、農業環境技術研究所は環境保全型農業の基礎研究である環境負荷低減につながる基礎的技術開発や、環境影響および生物多様性の評価に関する研究を中心に実施することとなった。
2006 年 〜 2010 年の第2期中期目標期間においては生物多様性研究領域が設置された。このとき、これまで別々の研究グループであった植生研究、昆虫研究、遺伝子組換え生物生態影響研究の分野間の組織上の垣根がなくなり、全体でひとつの領域を形成することとなった。2011 年から始まった第3期中期目標期間においても、基本的には第2期と同様の体制で研究が進められている。
以上に述べてきた系譜の中で行われた研究について、昆虫研究、植生研究、生物多様性研究に大別し、それらの主な成果を中心に紹介する。
海外から導入した天敵の利用は、農薬に代わる害虫防除手段として有効であり、わが国においてもこれまで多くの天敵生物が導入されてきた経緯がある。当研究所では、これらの生物の効果的な活用のための手法開発を行うとともに、それらの天敵が非標的昆虫に及ぼす影響について研究した。
オンシツコナジラミやミナミキイロアザミウマ、マメハモグリバエなどの主に施設栽培で問題となる侵入害虫とそれぞれに対する天敵類について、発育、行動、産卵、捕食などの諸特性を解明することにより、害虫−天敵間の個体群相互作用を定量的に記述するシミュレーションモデルを作成し、天敵の最適利用技術を開発するための解析を行った (矢野, 1989, Yano,1989, Nagai and Yano, 2000)。
また、マメハモグリバエおよびナモグリバエの導入寄生蜂が土着の天敵寄生蜂に及ぼす影響についても評価・解析した。
クリの侵入害虫クリタマバチの防除のために中国から導入されたチュウゴクオナガコバチがクリタマバチの土着天敵クリマモリオナガコバチに与える影響を調査するため、ミトコンドリアおよび核 DNA の塩基配列パターンを用いた導入種と土着種の識別手法を確立するとともに (Yara, 2006)、導入種と土着種2系統間の系統解析を行った (Yara, 2004)。また導入種と土着種間の交雑個体の識別手法を確立し (Yara and Kunimi, 2009)、野外における交雑率を推定することで、導入種の土着天敵に対する影響程度を評価した (Yara et al., 2010)。
捕食性天敵クサカゲロウの利用を目的として、累代飼育法を確立し、温度と発育、産卵、体サイズの関係等の諸特性を調査した (窪田・志賀, 1994)。またクサカゲロウの導入種と土着種を識別する DNA マーカーを開発し、両者間の競争関係 (Mochizuki and Mitsunaga, 2004)、交雑 (Naka et al., 2005, Mochizuki et al., 2006)、系統関係 (Haruyama et al., 2008)等を解明した。
フェロモンは、それを分泌することにより、同種の他の個体に一定の行動等を引き起こす物質であり、雌雄間の探索・誘引の働きを示す性フェロモンや、同種他個体を集める働きのある集合フェロモンなどがある。これらは、大量誘殺法や交信撹乱(かくらん)法によって害虫や被害の発生を抑制し、また害虫の発生状況を把握することで効果的な防除を可能にするなど、環境に負荷をかけない害虫防除の手段として利用されている。
農業技術研究所の時代からフェロモン研究を先駆的に実施してきており、農業環境技術研究所として設立された後も、チョウ目ではミツモンキンウワバ (Sugie et al., 1992)、タバコガ (Sugie et al., 1993)、ハイマダラノメイガ (Sugie et al., 2003)、シロイチモジマダラメイガ (Tabata et al.,2008)、ナシマダラメイガ (Tabata et al., 2009)など 22 種、コウチュウ目ではオキナワカンシャクシコメツキ (Tamaki et al., 1986)、ヒメコガネ (Tamaki et al., 1986)など5種、カメムシ目ではチャバネアオカメムシ (Sugie et al.,1996)、マツモトコナカイガラムシ (Tabata et al., 2012)など6種、ハチ目ではサワダトビコバチ (Tabata et al., 2010)など3種、合計 30 種以上の作物害虫や寄生蜂類の性フェロモンおよび集合フェロモン、カイロモンの化学構造を解明することにより、害虫防除対策の推進に大きく貢献した。またこれらの研究を進める過程で、触角電位測定とガスクロマトグラフィーを組み合わせた分析装置や超微量分析法を開発し、性フェロモンの微量成分の働きについても解明した (川崎, 1986)。
性フェロモンの単一成分を用いた茶樹害虫チャノコカクモンハマキの交信撹乱剤は農業現場で広く利用されていたが、それに対して抵抗性を示す個体が出現したため、その原因を調査し、含有成分数の増加により効果が回復することを明らかにすることにより、新たな交信撹乱剤の開発に貢献した (Tabata et al., 2006b)。また、同所的に分布する近縁なノメイガ2種の間で交雑が起こっていることを解明するとともに、その性フェロモン成分が、両親種の成分の中間的なものとなっていることを明らかにした (Tabata et al., 2006a)。
近年には、同種内の交信で働くフェロモンに加えて、異種間の相互作用を媒介する情報化学物質の研究にも着手した。アブラナ科害虫コナガの幼虫に産卵する天敵寄生蜂コナガサムライコマユバチは、被害植物から放出される匂いを手掛かりにして寄主害虫を探索する。この微量な植物揮発性成分を化学分析し、寄生蜂の誘引成分を特定した (Kugimiya et al., 2010b)。また、こうした寄主に関わる匂いやエサの匂いに寄生蜂が誘引されるための条件も明らかにした (Kugimiya et al., 2010a,c)。これらの知見から新たな害虫管理技術の開発が期待される。
害虫の発生密度を農作物に被害が生じないレベルに抑え、害虫をただの虫にすることは、環境保全型農業にとって重要である。多様な環境の存在は生物の個体数レベルや安定性に変化をもたらすか否かを解明するため、作物の栽植密度の違いが害虫の発生量に及ぼす影響を調査し、栽植密度が高いと作物あたりの害虫密度は低下することを明らかにした (Yamamura and Yano, 1999; Yamamura, 1999b)。また、Yamamura (2002) は栽植密度が低いと害虫密度の安定性が増加すること、さらにこのような安定性が生じるメカニズムは、生物多様性と安定性の関係を示すものであることを指摘した。これらの研究の過程で、個体数簡易推定法 (Yamamura, 1998)、Key-factor / key-stage 分析による生命表解析 (Yamamura, 1999a) 等についての解析手法を開発した。
外来昆虫ブタクサハムシと寄主植物ブタクサを対象として、寄主植物と昆虫の空間構造化モデルを構築して解析し、昆虫の移動性および植物群落間の距離が昆虫個体群の安定性にとって重要であることを明らかにした (Yamanaka et al., 2007)。またブタクサハムシの分布拡大および飛翔(ひしょう)性に関わる要因と遺伝率を解析し、年間 100 km 以上の分布拡大が可能なことおよび飛翔性に大きな遺伝変異を有することを明らかにした (守屋ら 2002; Tanaka and Yamanaka, 2009; Tanaka, 2009)。
昆虫の飛翔活性は害虫の発生生態を理解する上で重要な要因である。そこで、コナガ (Shirai and Nakamura, 1995a)、メイガ類 (Shirai and Nakamura 1995b, Shirai, 1998)、ハマキガ類 (Shirai et al., 1998; Shirai and Kosugi, 2000)等のチョウ目害虫の飛翔活性を色素標識法およびフライトミルを用いて測定し、羽化後日齢や卵巣成熟、交尾、気温等との関係を解明することにより、これら害虫の移動・発生生態の特徴を解明した。
同種内に、作物を摂食する害虫個体群と野生植物を摂食する自然個体群が存在する食植性テントウムシについて、両者の産卵数、産卵期間等の繁殖特性と成虫寿命の関係を比較し、害虫個体群は多産、短命、産卵期間集中化等の傾向があることを明らかにした (Shirai and Morimoto, 1999)。
地球温暖化が昆虫の発生に及ぼす影響について、Yamamura and Kiritani (1998) は各種昆虫の発育零点と有効積算温度から温暖化した場合の世代数の増加量を簡易的に推定する手法を開発した。また、発生量や発生時期に関するデータが豊富に蓄積されている害虫を対象として、温暖化による影響を推測した。ヒメトビウンカによって媒介されるイネ縞葉枯病では、イネの生育とヒメトビウンカの発生時期がずれることにより、分布域が一様ではなく変化することが示された (Yamamura and Yokozawa, 2002)。また、イネ害虫の発生量の変化を長期データに基づいて推定する手法を開発した (Yamamura et al., 2006)。
植物群落の特性に関する研究では、耕地管理の一環として雑草の侵入を防止する観点から、侵入雑草の生育型の研究とともに牧草を対象とした生育特性に関する研究が行われた (根本,1990)。植生遷移(せんい)と農地管理については、畑地休耕後の管理方法と植物遷移の関係を調査し、年4回の耕耘(こううん)で多年草雑草が減少し、遷移度が低下することを明らかにした (宇佐美ら,1992)。水田においては、土壌の乾湿条件によって耕作放棄後の植生遷移系列が異なること、畦畔(けいはん)法面(のりめん)部では遷移が急速に進むことを明らかにした (大黒ら,1996)。また湿田では微細な土壌条件の違いによって水分環境の異なる立地が形成され、多様な水湿植物の生育が可能であることを示した (大黒ら,2003)。楠本ら (2005 )は休耕田や耕作放棄水田における現存植生の群落タイプは、自然立地条件のみならず、農地の管理履歴によっても変動することを明らかにした。Tokuoka et al. (2010) は、畑地の耕作放棄地における樹木実生の定着量が、アズマネザサやクズといった在来種の優占や森林からの距離に応じて制限されることを明らかにした。このように、農地における植生遷移の様相には自然立地条件とともに管理方法の違いが強く影響していることが明らかになった。
同一除草剤の連用による抵抗性バイオタイプの出現状況を解明するため、パラコートやスルホニルウレア系除草剤に抵抗性を示すハルジオン、アゼトウガラシなど雑草の発生と分布を調査した (佐藤ら,1990; Itoh et al., 1999; 伊藤, 2000)。また、水田から流出するスルホニルウレア系除草剤が水田周辺植物の多様性に及ぼす影響を評価するため、絶滅危惧(きぐ)水生植物を含む野生植物を対象として除草剤の暴露試験を行い、各種における半数致死量や半量生育量等を明らかにするとともに、一部の河川におけるリスク指数を算出した (Aida et al., 2006,; Luo and Ikeda, 2007)。
酸性雨が農作物の生産性や農業環境の劣化をもたらすことが懸念されていることから、酸性雨による影響の指標植物を選定するとともに、酸性雨が各種植物の生理機能に及ぼす影響を解明した (大黒ら,1993)。また、オゾン層の減少に伴う紫外線の増加により、オオバコでは葉身への乾物(かんぶつ)分配率の低下が、他の一年生植物では個体の小型化が生じることが観察された (松尾ら,1999)。
土壌蓄積リンを有効利用できる植物を探索するため、数種の作物および雑草を対象として、低リン条件下における生育およびリン吸収の種間差を調査し、リン吸収特性を明らかにした (安田ら,1987)。また、火山灰土壌ではアジサイ以外の植物はアルミニウムの毒性によって著しく生育を阻害されるが、アジサイは植物体内でアルミニウムをクエン酸と結合させることによってアルミニウムの毒性を解毒していることを実証した (Hiradate et al., 1998)。
野外における植物の分布と土壌特性の関係を調査した結果、土壌 pH が高いあるいは有効態リン酸が高い土壌では外来植物が蔓延(まんえん)しやすいこと、逆に土壌 pH が低くかつ有効態リン酸が低い土壌では在来植物が優占しやすいことを明らかにした (平舘ら,2008)。また、この性質を利用して、塩化アルミニウムを処理することにより土壌を酸性化させることで、外来植物であるセイタカアワダチソウを衰退させる技術を開発し、実用化に向けた研究を実施している (平舘ら,2012)。
農業生態系における生物多様性を保全するためには、農業生態系の景観構造や土地利用形態など各種の環境要因が生物多様性に及ぼす影響を明らかにする必要がある。このような観点での生物多様性研究は、農業環境技術研究所ではすでに述べたように資源・生態管理科において 1980 年代から先駆的に進められていた(第 10 章参照)。その成果のひとつとして、農業生態系における生物多様性の調査を効率化するための農業景観調査情報システム (RuLIS, Rural Landscape Information System) の構築 (井手ら、2005)がある。これは、国土全体の生態系を対象に3次メッシュ (約 1 km × 1 km) を単位として、気象、土壌、地質、地形、植生、交通立地等の因子に関わる数値地図情報を統計的に類型化し、60の景観タイプに区分したものであり、各メッシュに、種、生態系、景観等に関する詳細なデータを格納することができる。国土全体にわたる生態系情報を体系的、効果的に収集・蓄積することで、地域スケールから国土スケールにいたる長期モニタリングのフレームとして活用できる。
上記システムを利用して、山本ら(2008)はチョウの生息ポテンシャルを評価した。森林と水田の境界領域でチョウの出現種数が多いことから、森林面積および水田面積の優占度が高いメッシュと森林−水田の境界長との関係を上記システムを用いて解明することにより、チョウの生息ポテンシャルを推定した。
農地管理によって植物の多様性が維持されている事例として、すそ刈り草地と茶草場における調査結果が挙げられる。定期的な草刈りによって形成されたすそ刈り草地や茶園での敷草利用のために維持されている茶草場では、多年草在来草本を含む植物群落が維持され、植物の多様性が農業生産のための農地管理によって保持されていることが明らかとなった (小柳ら,2007; 楠本,2011)。
水田地帯の鳥類については、利根川流域に生息する夏季 51 種、冬季 73 種を生息地別に8グループに分け、そのうち湿地性鳥類、樹林性鳥類、草地性鳥類の出現する環境を調査したところ、夏季においては湿地性鳥類は水田の多い地区、樹林性鳥類は林地が多い地区、草地性鳥類は土地利用の多様度が高い地区で多くなり、周辺土地利用によって出現する鳥類種群が大きく異なることが明らかとなった (Amano et al., 2008)。
昆虫を対象とした生物多様性研究としては、1990 年代後半から谷津田環境における昆虫相や河川流域における環境変化と水生昆虫の関係に関する調査、あるいは有機栽培水田と慣行栽培水田における生息昆虫相の比較研究などが着手された。その後、環境保全型農業が生物多様性に及ぼす効果を客観的に評価するため、環境保全型農法と慣行農法を行っている関東北部の水田において天敵昆虫やクモ類などの種類と個体数を調査し、環境保全型農法で生息数が多い生物を環境保全型農法の効果を示す指標生物として選定した。これらの成果は農林水産省農林水産技術会議事務局ら (2012) に盛り込まれている。また、環境保全型農業が生物多様性に及ぼす効果を解明するため、アシナガグモ類の個体数と農法および環境要因との関係に関する全国規模の調査結果を統計的に解析した結果、農薬削減がアシナガグモの個体数に及ぼす効果は自然環境の影響を受けて地域間で異なることが明らかとなった (Amano et al., 2011)。
ため池に生息するトンボ類の多様性とため池の環境の関係を多変量解析を用いて解析し、トンボの種構成は、ため池の環境によって6グループに分かれることとともに、トンボの保全に必要な環境条件を明らかにした (Hamasaki et al., 2011)。また個々の種に注目すると、飛翔力の強くない種では、ため池の配置も重要であることを明らかにした (Yamanaka et al., 2009,)。
外来生物は、生物多様性国家戦略 2010 において、生物多様性を脅かす3つの危機のひとつ (第3の危機) として挙げられている。2004 年に「特定外来生物法」が制定され、特定外来生物の扱いに対する規制が定められたが、外来生物の管理を効果的に実施するためには、外来生物の生息状況を把握し、生態系への影響を評価することが必要である。農業環境技術研究所では、さまざまな外来生物の生息状況を調査し、生態系影響を評価するとともに、侵入前リスク評価法の開発に取り組んだ。
Shibaike et al. (2002) は DNA の塩基配列を解析することにより、タンポポの外来種と在来種を識別する手法を開発した。この手法を用いて、2001 年に環境省が行った 「身近な生きもの調査」 で全国から採集されたタンポポを解析した結果、頭花の形態からセイヨウタンポポとして同定されていた個体 (870 個体) の約 85% は、在来の二倍体タンポポとの雑種であることが判明した (山野ら, 2002)。また、雑種の生育環境や遺伝的特性を解析した結果、これまで外来のタンポポが指標すると考えられていた路傍やあき地などの人為的撹乱環境には、四倍体の雑種が優占することを明らかにした (山野ら, 2004, 芝池ら, 2005, 井手ら, 2006)。
特定外来生物であるカワヒバリガイが霞ヶ浦湖内および霞ヶ浦からつながる農業用水路にも拡がっていること (伊藤,2010)、ナガエツルノゲイトウが印旛沼周辺の水田域で分布拡大している実態 (楠本ら,2011) を明らかにした。また、水田周辺における外来植物の蔓延(まんえん)状況を3パターンに分け、水田周辺で注意すべき外来植物 15 種を提示した (山本ら,2009)。
わが国に大量に輸入される穀物中にはさまざまな種子が混入しており、国内の河川敷や飼料畑などで問題となっている雑草の一部はそれらが起源であると考えられている。そこで輸入穀物に混入している種子を調査し、混入しやすい外来植物の生態的および形態的特徴を解明し、さらに輸入穀物中に除草剤抵抗性雑草の種子が混入していることを明らかにした (Shimono and Konuma, 2008; Shimono et al., 2010)。
侵入前リスク評価法としては、国際的に定評のあるオーストラリア式雑草リスク評価法を基に、日本で雑草化する植物とそうでない植物を判別する手法を開発した(Nishida, et al., 2009)。
侵略的外来生物の防除に関する理論的研究として、雄の交尾相手探索行動を組み込んだシミュレーションモデルを開発し、さまざまな防除法の効果を検討した結果、交尾を阻害する防除法では、侵入初期の低密度条件下で実施することにより、従来モデルによる予測より、はるかに簡単に個体群を根絶できることが明らかとなった (Yamanaka and Liebhold, 2009a, b)。
遺伝子組換え(GM)生物の安全性評価手法を開発するために 1987 年より開始された農林水産省委託による一連のプロジェクト研究において、農業環境技術研究所は主査場所としてその推進に貢献してきた。プロジェクト研究の開始当初は、組換え技術そのものの安全性に関する研究に重点が置かれ、当研究所においても、組換え微生物の検出手法やモニタリング、抗生物質耐性などの導入遺伝子の発現制御技術に関する研究(第6章参照)が主要課題であった。1999 年、アメリカにおいて害虫抵抗性遺伝子導入トウモロコシの花粉によるチョウ類幼虫に対する悪影響が報告されたことを契機に、GM生物の生物多様性に対する影響が意識されるようになった。わが国においても、カルタヘナ議定書の批准(2000)やカルタヘナ国内法(2003)の成立、第1種使用規程承認組換え作物栽培実験指針(2004)が策定されるに至り、近年の農林水産省委託プロジェクトでは、GM作物の生物多様性に対する影響評価や非GM作物を栽培する慣行農業との共存を実現する管理手法の開発などの研究に重点を移すこととなった。
わが国におけるGM作物の生物多様性影響について、近縁野生種との交雑という観点から考えると、ダイズとツルマメ間に発生する自然交雑の実態把握は喫緊の課題である。Yoshimura et al. (2006a) や Mizuguti et al. (2010) は、除草剤耐性GMダイズとツルマメをさまざまな隔離距離を設けて栽培し、両者の間に発生する交雑は最大でも 0.1% 程度であることを明らかにした。また、両種の自然交雑の防止に資する知見として、ダイズの花粉飛散距離 (Yoshimura, 2011) やツルマメの種子散布距離 (Yoshimura et al., 2011) も明らかにした。
これまでのところ、国内でGM作物が商業栽培された実績はなく、生物多様性に対する悪影響も発生していない。しかし、加工食品の原料として大量のGM作物の種子が輸入されている現状があり、搬送中にこぼれ落ちた種子に由来する個体が港湾周辺に生育することが報告されている。Yoshimura et al. (2006b) や Mizuguti et al. (2011) は、GMナタネの種子を含む穀粒を積み卸しする港湾周辺において、こぼれ落ちた種子から形成された個体群の動態を調査し、それらの個体群が現場周辺の植物群落中で存続する可能性はきわめて低いことを明らかにした。
将来、GM作物の商業栽培を行う際には、生物多様性に影響を及ぼさないことはもとより、非GM作物を栽培する慣行農業に配慮した管理手法を開発することも重要である。Kawashima et al. (2004) や Yamamura(2004) は、耐虫性GMトウモロコシを栽培したほ場から飛散する花粉数や飛散距離を予測する関係式を導き、計算機シミュレーションにより花粉源からの距離と交雑率の関係を評価・予測した。一連の研究では、空中を飛散する花粉数を自動計測する装置も開発され、作物の自然交雑を研究する上での貢献が期待された (川島ら, 2004)。
このほか、積極的に交雑を抑制するために、防風植生の利用 (Ushiyama et al., 2009) やほ場の集団化による効果 (Yonemura et al., 2011) を評価する手法や、開花期の重複程度と交雑率の関係を適切に解析する手法 (Ohigashi et al., 2013) などが開発された。
引き続き、新たな植物育種技術を用いて開発される作物を含め、より包括的な生物多様性影響評価と適正管理に向けた手法開発を継続する必要がある。
農業は本来、生物多様性によってもたらされる生態系サービスを最大限に生かすことで成り立ち、生物多様性との調和の中で営まれるものである。現在の生物多様性研究領域につながる旧植生管理科や旧昆虫管理科では、「生態系調和型農業」 や 「環境保全型農業」 が大きな目標とされ、それは、環境への負荷を最小限に抑え、持続的な農業をめざすという意味で、現在の生物多様性研究領域で行われている研究の目標と基本的に変わるものではない。ただ、「生物多様性」 という概念とともに研究の対象範囲は広がり、生物多様性そのもの、あるいは生物多様性の保全のための基礎研究や技術開発も主要な課題となってきた。しかし、生態系サービスを生み出す源泉であることが生物多様性の価値であるとすれば、今後は、生物多様性が農業の持続性や人類の福祉に対してどのような生態系サービスを生み出しているかを解明するための研究にも取り組むことが必要である。
安田耕司 (生物多様性研究領域長)
農業環境技術研究所が1983年(昭和58年)12月に設置されてから2013年(平成25年)12月で30周年を迎えました。そこで、30年間のさまざまな研究の経過や成果をふりかえり、これからを展望する記事 「農業環境技術研究所の30年」 を各研究領域長等が執筆しました。2014年2月から順次、「農業と環境」に掲載しています。
■「農業環境技術研究所の30年」 掲載リスト
(1)大気環境研究の系譜 (2014年2月)
(2)物質循環研究の系譜 (2014年3月)
(3)土壌環境研究の系譜 (2014年4月)
(4)有機化学物質研究の系譜 (2014年5月)
(5)生物多様性研究の系譜 (2014年6月) (今回)
(6)生物生態機能研究の系譜 (予定)
(7)生態系計測研究の系譜 (予定)
(8)農業環境インベントリー研究の系譜 (予定)
(9)放射性物質研究の系譜 (予定)
(10)多面的機能研究の系 (予定)